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養豚場で脱走した豚が教えてくれたこと

大学3年生の頃に千葉県にある養豚場で2週間実習をさせていただきました。
友人の実家であり、なんでも質問できる環境でとてもありがたいとともに充実した実習でした。

この友人、絶対に食べ物を残さない人でした。残しそうになるとなんとかして食べ残しがないように働きかけたり、自らお腹いっぱいでも食べる人でした。
養豚場で実習させていただいてその真意を知ることになりました。

美味しいブランド豚を誇りをもって育てている友人のお父さんと養豚場で働いている皆さんがとてもかっこよく見えたことを今でも覚えています。

豚に餌付けをする作業から生まれた子豚の体を拭いてあげる作業まで色々な作業をさせていただきました。

生まれてからお肉として出荷する時までの過程を見させて頂いたことに加え、その養豚場で大切に育てられた豚たちが屠殺、解体されていく過程も食肉公社で見学させていただきました。

この実習を通して、普段私たちがいただいているお肉への感謝はもちろん、産業動物、家畜の命をいただいて私たちは命を繋いだり、食事の時に「美味しい」と感じられる幸せな時間を過ごせているのだと改めて感じました。

友人が絶対に食べ物を残さないようにしている理由がわかったような気がしました。彼は小さい頃から人間が他の生物から命をいただいて生きていることを肌で感じるとともに、親御さん、祖父母の方からも教えてもらっていたそうです。

これが本来大切なことを子どもに教えていく家族のあるべき姿の一つなのかなと考えた覚えがあります。

今回お話ししたいことは別にございまして・・・。

養豚場の中にはいくつもの豚舎があり、綺麗に保たれていました。基本的には臆病なんだけど好奇心は旺盛で人懐こい豚が多く、一頭一頭本当に可愛かったです。


出荷までおおよそ6ヶ月間飼育・肥育していくのですが、大体3~4ヶ月ぐらいの時でしょうか、自分で動き回れるし好奇心も旺盛な豚は柵の外になんとかして出ようと動いていました。なんとか柵の外に出られたとしても豚舎の外に行くには、管理している人間に見つからないで歩いていくしかありません。

運よく人に見つかって戻されず、豚舎の外に出てきた豚を自分が発見しました。どんな行動を取るのか見てみたくて観察していました。

影に隠れて観察していると若い豚は豚舎に面した道路に出ました。

そこからその若い豚がどんな行動に出たと思いますか?

若い豚はキョロキョロ周りを見ながらもその場から離れることはありませんでした。せっかく豚舎から出られたのにも関わらず、逃げて自由の身になれるチャンスが目の前にあるのにも関わらず・・・。

自分が近づくと逃げもせず大人しくその場に居続けていました。

この日の夜、友人のお父さんにこの話をすると、時々そういう若い豚がいるとのことでした。でもみんな逃げないのだそうです。

「正確に言うと逃げられない。」と教えてもらえました。
(家畜化の効果の一つで従順で温厚な個体が多くなる)

「自分で選んで逃げない」のと「逃げられない」には大きな違いがあります。

この若い豚がどちらだったのか、知る術はありませんが…これはあくまで予想ですが、どうすれば良いのか分からず「逃げられなかった」のではないかと考えています。

豚舎は毎日決まった時間に餌を与えていて、水はいつでも飲める状態なので豚舎で育てられている豚たちは何も思考しなくても餌と水にありつける状態です。「思考力」は鍛えられず、退化していくばかりだと考えられます。

一方、野生のイノシシは常に自分が外敵から(ヒト)逃げられる道を確保してある状態で、食糧を探し回ったり、水飲み場にいったり、ぬた場と言う場所で泥浴びをしたりしています。常に周りに気を配り、自分の身の安全の確保に細心の注意を払います。

両者には大きく異なる点があって

普段から「自分で考えて動いているのか、いないのか」「思考しているのかいないのか」。

この差はとても大きいと考えます。

「自由」を得ても、「チャンス」を得ても生かしきれない。

使っていない能力は錆びる、使う能力は錆びない。

余りにも何でも準備されると自分でやらなくなる、考えなくなる。

そうすると本来使って鍛えて伸びる能力も伸びなくなる。

家畜化による思考の鈍化は、厳しい自然界を生き抜いていく上で深刻な影響を及ぼします。生き残るために必要な武器である嗅覚や嗅覚は鈍って、餌を探せなくなり、危機察知能力は消失し、「野生」を少しずつ失っていきます。

家畜がこの状態で自然界に放り出されたら、生き残る個体はほとんどいません。

野生の動物は「嗅覚」、「触覚」、「視覚」、「味覚」、「聴覚」がそれぞれ発達していて鋭いです。

鋭くない個体は生き残っていけない厳しい世界…

人間は「野生」の感覚を失っても生きていける特殊な動物だと考えています。
高度に文明化された社会では野生の感をなくしても生きていくことができます。

人間も便利な生活の中で少しずつ野生の感というのを失っていっているとしたら、家畜化が進んでいると考えることもできます。


ちょっと脱線します。

個人的にキャンプが好きでよくいくのですが、近年のキャンプブームでキャンプ人口が増えました。

純粋に楽しいからという理由もあると思うのですが、潜在的な裏テーマとして「五感を失わないため・手入れするため」というがあるのではないかなと感じています。

日本の新潟県三条市に本社を置くアウトドア総合メーカーの「Snow Peak」さんは
1958年の創業以来、「自然と人、人と人をつなぎ、人間性を回復する」ことを社会的使命としているそうです。

「キャンプは、単なるレジャーにとどまらない『人間が人間らしく生活するための営み』。私たちは、自然のなかでは年齢や肩書きに縛られないただの人間に戻ることができ、仲間や家族と本質的な信頼関係を築くことができると考えている。
『野遊び』の提供を通じて、人間性の回復を目指していきたいと考えている。

普段の生活では使いきれていない五感をフルに使ってメンテナンスをする。メンテナンスされた五感を利用して普段の生活をさらによりよく暮らしていく。こんなことを考えているのではないでしょうか。

話を戻します。

「家畜化」には大きく以下の4つの特徴があるようです。

・野生種より小型になる
・野生の祖先より顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる傾向がある
・家畜ではオスとメスのちがいが野生動物に比べて小さい
・家畜は哺乳類であれ鳥類であれ、野生の祖先より顕著に脳が小さくなる傾向がある

○私たちホモ・サピエンスはネアンデルタール人など先行する人類より小型で平面的な顔貌をしている。
○男女の骨格のちがいが小さい。
○過去200万年間の人類史で着実に増大してきたが、3万年ほど前に方向転換が生じて脳が小さくなりはじめた。現代人の脳は2万年前の古代人より10~30%も小さい。

上記のことから人間も家畜化していると言われており、これを人間の「自己家畜化」というそうです。

人間も家畜化している・・・信じられませんが事実なのかもしれません。

自分で考えて行動することをやめないようにしないと・・・。

チャンスを生かすか、生かせないか。チャンスを掴むか、掴めないか。思考しながら進んでいきたいと思います。




サポートしていただけたら、実験用具を買うか、実験用の薬品を買うかまだ決めていませんが、生徒さんたちと授業のために使いたいと考えています。