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#137 わからない、間違えるは正しい 6匹のカエル+α
昨年後半から嬉しい報告が次々と入り、4月から30名の教え子たちが教師になることが決まっている。
学校種はさまざまだ。
3月には勤務地もわかる。
みんな、どこへでも行く覚悟はできているという。
とはいえ、北海道は広い、デカい。
利便値、不便地・・・・・
不安だろう。
それでも、
果てしない大空と広い大地のその中で、いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう
生きていくのだ。
学生数名が研究室を訪れ、期待と不安の入り交じった思いを吐露した。
「まあ、コーヒーでも飲めよ・・・・」
そう言いながら、それぞれの思いを聞く。
大丈夫、最初から完璧な仕事なんてできっこないさ。
先生がオジサン、オバサンだろうが、お兄ちゃん、お姉ちゃんだろうが、私みたいにジジイイだろうが、生徒にとってはどの人も「先生」
でも、現場の先輩たちは自分がそうであったように、新米教師の「わからない」「できない」「間違える」は想定内。
1年間は新任研修もある。
あわてず、あせらず、着実に歩みを進めることだ。
教師の本丸は学習指導と生徒指導。
そこで己の至らなさを思い切り突きつけられることだってある。
教職40年を超えた私だって未だに自己の至らなさに四苦八苦し、七転八倒、七転び八起きの連続だ。
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私は自分ができもしないことを学生たちに偉そうに言うつもりはない。
できないけれど、君たちと一緒にめざそうと思っているよ、とは言っている。
だから、毎回の講義で「共に学ぼう!」と呼びかけている。
教師は、生徒個々の「学びのツボ」がどこにあるのかを探す。
それは個々の特性、集団の特性によって柔軟に対応していかなければならないからだ。
ともすると、早く理解すること、できることを求めてしまう。
解き方をすぐ教えてしまう。
「わからなさ」「できなさ」から、ほんとうの学びが生まれる。
そこにどう寄り添うか。
いろいろな高校へ招かれてキャリアデザインや探究学習について講演する際に、生徒達にその意味を問い、6匹のカエル+αの話をしている。
学生たちにも資料『意味ある学びのカエル』を渡した。
自分で選んだ道を自分の力で正解にしてほしい。
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君よ、春が来るのだ。
冬の後には春が来るのだ。
君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし…
僕はただそう心から祈る。