#142 面白半分日記26 コンテクストって難しいな
1年生の演習科目で1年間にわたって「読む・書く・聞く・話す」を取り上げてきた。
テーマは「ことばを紡ぐ」
「言葉の曖昧さや揺らぎをどうコントロールするか」ということを講義したり、ワークショップ形式で意見を出し合ったり、私自身の困り体験談を語ったり、学問的・認知心理学的アプローチなども試みた。
結構しんどいな、面倒だな、と思ったが、学生たちは成長した。
何より私自身が勉強になった。
自分なりに授業を総括しなければいけないと思い、感じたことを少しだけ記しておくことにする。
【context】コンテクスト(コンテキスト)
という言葉がビジネス分野では一般化しつつあるようだ。
ICT分野では以前から当たり前に使ってきた言葉だが、近頃は一般的なビジネスの場面(特にプレゼン)や学生たちも使うことがあって、「話し手と聞き手」「書き手と読み手」の間で言葉の解釈が合っているのだろうかと疑問に思うことがある。
ある学生が言った。
「彼女のプレゼンなんですが、コンテクスト的にどうなんでしょう。
先生はどう思われますか?」
私は一瞬「えっ?」となり、考え込んだ。
コンテクストと言う言葉の持つ曖昧さ。
さらに「~的」って・・・・?
私に意見を求めてきた学生は何か不満でもあるのだろうかと思ってしまう。
私は答えた。
「いや、表現したとおりじゃないかな。
それ以上でも以下でもないと思うけどね」
プレゼンの文脈を読み取りたいのか、意味を深く掘り下げた説明がほしいのか、モヤっとした気分になる。
私はIT関連の授業ではコンテクストのことをこう説明している。
ところが、ビジネスの場面や研究会で「コンテクスト」という言葉が頻繁に使われるようになると、英語本来の意味と現実に使われている表現との整合性はどうなっているのかわからなくなるのだ。
改めて調べてみると「文脈、背景、状況、場面」という意味がある。
例えば「コンテクストを読み取って対応する」のように使用される。
ならば、「文脈」でいいじゃないかと思う日本人“ 的 ”な私。
なんだか、わかったような、わかんないような感じだ。
文脈は「脈」なわけだから、一連の情報の前後関係を判断し理解しなければならず、結局、発信者と受信者の双方がわかりやすい表現力・読解力(係り受け、照応、同義判定、推論、イメージ、具体例)を脳内で処理しなければならない。
英語の教員に私のモヤモヤ感をぶつけてみたら、腹に落ちる話があった。
いや、ほんとうは落ちていないのかもしれない。
ハイコンテクストとローコンテクストの話だった。
私自身は次のように考えていた。
言語を介してグローバリズムや国際社会に適応・順応していくためには、言語とそれに基づいた思考法や慣習に違いがあることを理解しなければならない・・・・と。
しかし、先生はこう言った。
言語によって思考回路が根本的に異なると結論づけるのは性急である。
どんな言語にせよ、文法体系や思考回路、思考手順は大切だけど、伝えるべきことを「言ったか、言っていないか」「書いてあるか、書いていないか」といった部分が重要になってくるのだと。
自分は、内面にある考えや繊細な気持ち、感情を正確に伝える言葉を持っているだろうか、そしてそれを明言・明示しているだろうか。
先生は最後にこう言った。
言葉というのは単に音や意味を表すだけではなく「そこに愛はあるんか?」ということが重要なのだと。
う~ん、自分の授業に愛はあったでしょうか女将さん・・・・
こころ 哀しくて 言葉にできない
la la la 言葉にできない ♪
などと歌っている場合ではない。
日本文化の場合
「阿吽の呼吸」
「詫び寂び」
「忖度」
「空気を読む」
といった微妙なニュアンスの中で生活している。
推して知るべし
推し量れ!と。
書かれていなくても、口にしなくても、読み取れよ!と言ってしまうと、特にビジネスの場面では命取りになる可能性がある。
「欧米か!」と叫びたくなるが、いろいろな面で欧米化してきた日本である。
微妙なニュアンスで会話できなくなってきているのかもしれない。
結婚したい彼女に大切なことを伝えるときだって下手をすると命取りになるかもしれない。
つまり、大事なことは漏れなく「言え」「書け」という話になる。
極端な例えかもしれないが、結婚したい彼女に百本のバラを渡そうが、高価な指輪を渡そうが、無言で渡せば「もらい逃げ」されることだってあるかもしれない。
「私、別に彼から具体的に結婚してと言われなかったもん。もらえるものはありがたくもらう主義なのよ」
ああ、コンテクストって難しいな。
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