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#308 『子どもが育つ条件』『学力喪失』

『子どもが育つ条件』柏木恵子 岩波新書
『学力喪失』今井むつみ 岩波新書

■家族心理学からのアプローチ

『子どもが育つ条件』は2008年初版。
変化の激しい時代、16年の経過は大きい。

現在の社会構造とは異なるデータと条件下で書かれているが参考になることは多い。

突き詰めると「親として育つ」ことが重要なテーマになっていると受け止めた。

SNSの普及によって、家庭教育や学校教育の実態がつまびらかにされ、「子育て」「子育ち」「親育ち」に関する誹謗中傷や炎上もある。

時代は違えど、古くて新しい問題として考えるべきことがある。

■「子育て」から「子育ち」へ

「親が主体となって子育てをする」を立脚点にするのではなく、一歩踏み込んで、その先にある「子どもが主体的・能動的に行動する」ための親のありようとは何かを考える必要があるのだろう。

幼、小、中、高と上に進むほど、親以外の大人と関わる時間と機会が増え密度も濃くなる。

周囲の大人が子どもを観察、見守りし、寄り添い、支援することはあっても、子どもはやがて独り立ちして飯が食える大人にならなければならない。

子どもの個性や長所、気質をよく見て、子どもの育ちをサポートすること。
それが育児と教育なのだろう。

子育ては大人の論理で進められ、大人が思い描く理想型で行われる。
それなのに、上手くいくこともあればいかないこともある。

子どもの「自ら育つ力」が置き去りにされているのではないかという指摘がある。

自ら育つ力は生まれながらにしてオートマティックではない。

親のあり方に目を向ける必要があるのだろう。
親は子どもと共に育つ。
子育ては「共育」と言われる所以である。

3人の息子達よ、よくぞここまでお父ちゃんお母ちゃんを育ててくれたという思いはある。
実際にどれほど成長したかは怪しい。

私は3人の息子たちと一緒に海や山、川で遊んだり、サッカー少年団、野球少年団の活動に付き合うことだけは全力でやってきた。

でも、その他は妻任せが多かったので、妻の意にそぐわないこともたくさんあって言い合い(話し合い?)が絶えない時期もあった。

それは夫婦として乗り越え親として成長するための試練だったのかもしれない。

今は昭和の時代とは異なり、社会構造や関係性のあり方が複雑化し、父親も積極的に家事・育児に参加することが大切だと言われている。

親として、子が主体的に動ける環境・条件の整備をどうするかだ。

ジェンダー論も含めて、男性として、女性として、あるいはセクシャル・マイノリティとして、さらには親として、大人として、人としてどう育つかということが子どもたちの未来を決めることになる。


■学力喪失

2冊目は9月に出たばかりの『学力喪失
認知科学者の今井むつみ氏は、乳幼児の持つ驚異的な「学ぶ力」によって母語を習得するプロセスを研究している方だ。

本来的に「学ぶ力」を持つ子どもたちが、なぜ学校で学力不振となってしまうのか。
本書は最新の認知科学の知見で分析し、解決の手立てを模索する構成となっている。

スキーマの重要性が説かれている。
スキーマは、経験の積み重ねによって理解するための枠組みであり、各発達段階において、このスキーマが間違っていると「学習のつまずき」が生まれるという。

さらに、学習困難な状況が何に起因しているかを述べている。
それは「数的概念」「読解力」「思考力」の三つに類型化している。

私自身、40年ほど前に大学の教職課程の教授から薫陶を受け、教育に対する考え方のベースになっていることがある。

それは、幼少期の絵本の読み聞かせによる「抽象概念の形成」だ。

文字が読めない未発達な段階で、目に見えない事象・物語を耳で聞きながら、抽象概念を形成するトレーニングを繰り返すことによって、読解力が養われ、小学校入学と同時に、それが国語と算数に大きな影響をもたらすという発達心理学の概念である。

それがやがて「10歳(小四)の壁」として、学習能力のデバイド(分水嶺)となる。

では、適切な学習機会が減っている現在の子ども達が、これらのつまずきを克服するために、学校でどのような取り組みが必要なのだろう。

学習指導要領は、ミニマム・スタンダードでしかなく、地域特性、学校特性、個人の発達段階に応じた方法を懇切丁寧に示しているわけではない。
国が示す最低限の標準・目標でしかない。

教育に深く関わる教師自身が個々の状況をつぶさに観察し、計画化し実行に移さなければならない。

教職をめざしている大学生たちと話していると、具体的に何かをイメージして深く考えているわけではないことがわかる。
何しろ現場経験がない。
学ぶ側の経験則でしか考えたことがないから、教師が意図している学びの仕掛けを強く意識する機会はない。

私は教師の手の内を解説し、やって見せながら授業をしている。
学生たちの中には「無理かも」と思ってしまう者も出てくる。

教師は必殺仕掛け人であるべきだ。
全国各地で仕掛け人が実践を重ねている。

私は方法論の前に、教師としての生き方・あり方論を問う必要があると考えている。

学ぶ力を身に付けさせること、どこかで失われた意欲を回復させることが自己の使命だと捉えたい。

子どもたちがやがて教師の手を離れて自立(independence)し、自律(autonomous)できるように働きかけることだ。

ティーチャーは、ティーチングしていればよいわけではないと自戒している。