《エッセイ》人生で初めて文章を書いた時のこと
人生で初めて文章を書いた時のことを覚えていますか?
僕は仄かな絶望感と共にその時のことをしっかりと覚えている。それは小学校一年生の時だった。
僕の通っていた小学校では漢字一文字作文なるものがあった。(全国的なものなのかな?)
好きな漢字を一文字選んでその漢字にまつわることを自由に書く。
例えば「友」だと友達に関することを書いたり、「楽」だと自分の楽しいと思うことについて書けば良い。オマセで哲学的な君なら「愛」について書いたって良い。
小学生の頃の僕はまだ知的生命体としての自覚もなくただただ日々を浮遊していた。
降ってくる餌を一心不乱にむさぼる池の鯉のごとく目の前にあることを何も考えずにjust do itというようなNIKE的な少年だった。
そんな僕に作文なんていうハイクリエイチブな作業なんてできるはずなかった。
僕にできるのはせいぜい花におしっこをかけるとか犬のうんこを発見してうんこだ!って騒ぐとか、極めて無意味かつ原始的な行為だけだった。
先生が原稿用紙を配り、周りの子たちは一斉にカリカリと音を立てて鉛筆を走らせる。
僕は文章を書くという行為が理解できなかった。どんな漢字を選んでもいいかもわからなかったし、書きたいことなんて何一つなかった。
ただ真っ白な原稿用紙という荒野の前に呆然と平伏すしかなかった。
どうすることもできなくて焦る僕は隣の席のN君の原稿用紙を横目でがっつりと盗み見た。我ながら大変ズルい餓鬼である。
N君は「犬」という漢字を選んでいて、
とおよそそこから作文を展開させていくことは難しそうな文章を書いていた。
僕はこれが文章というものなのか、、、これでいいのかな、、、と思った。
しかし僕は唯一の頼みの綱のN君のその文章に縋るしかなかった。
すかさず僕も「犬」を選び、
と飼ってもいない犬について小1にして完璧な盗作をし、苦し紛れの自分のエッセンスを混ぜ込んだ。
僕はそれ以降なにも書くことができず、タイムオーバーとなりそのまま原稿用紙を提出した。
文章を書くという行為は苦しさと無力感をごちゃ混ぜにしたようななんとも言えない気持ちだけを僕に残した。
それ以降毎年漢字一文字作文を書いているはずだけど全く記憶がない。(いいものが書けたことは一度もなかったと思う)
だから文章を書くことはずっと大嫌いだった。
そんな僕が今になっては書きたいと思うことがあって、文章という荒野にまた挑んでいるんだから人生はわからないものである。
あのときの「犬」よりも少しでもいいものが書けたらいいな。
読んでくれたあなたのことが大好きです。
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