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東京おねえちゃん (岡田育さん「我は、おばさん」によせて)



「東京おねえちゃん」

私は叔母のことをそう呼んでいた。
呼称は「お姉ちゃん」だけど、まぎれもなく岡田さんのいう「おばさん」で「自由を生きる非・おかあさん」だった。

田舎の三女に生まれ、地元で一番の高校から東京の女子大へ行き、そのまま東京で就職した叔母。
身長が高く、自分でイラストを描いて美容院に持ち込むというショートカットのパーマスタイルで、本当に恰好よかった。


お盆と年末年始の東京おねえちゃんの帰省は、私にとってものすごく大きなイベントだった。おねえちゃんがくれる東京のお土産なんていうか「違う」のだ。
(昭和50年代、地方と東京の差は今の比ではなかった)

外国の人が描いた落ち着いたトーンで語られる絵本。
肌触りのいい別珍の上着とお揃いのズボンや、チロリアンなワンピース。
丈夫なガラスのコップに入ったモロゾフのプリンやホールのチーズケーキ。
遊び心があって、派手ではないけど華やかで、たぶんちょっと贅沢だった。
初めての生クリーム(液体)もお姉ちゃんに頼んで買ってきてもらった。
「これは泡立てて使うものよ」というお姉ちゃんに「ちがう!ホットケーキに入れる!」
と主張して譲らない姪っ子に好きにさせてくれる寛大な人だった。

おねえちゃんが結婚したのは30歳を過ぎてからだった。
長姉である私の母は妹が嫁がないことにずっとやきもきしていたが、結婚相手が決まった途端今度は「早いとこ子ども産まないと」と、言った。
そういう時代だった。

おねえちゃん夫婦は結局子どもには恵まれなかったのだが、私の母は本人を前に
「うちで一番頭のいい子に、子がねぇじゃなぁ」と言った。
仏事では親戚の老人が
「〇〇さんには無理だよ、子ども育てたことないから」と言った。
そういう時代だった。
そういう時代だったけど、高校生の私は聞いているのが嫌だった。
それでも母には何も言わなかったし、親戚の老人に抗議もしなかった。
ただ「私はああいうことを言わない大人にならなきゃ」と思い、
一方で「私は早く結婚して、子ども三人くらい産む」と宣言した。
それらは別に矛盾することではなかった。

私はおねえちゃんと同じように東京の大学に進学し、東京で就職した。
「早く結婚する」と宣言したはずが、25歳を過ぎ、30歳が近づき。
まだかいつかとせっつく母に返す言葉は「ま、あの時代のおねえちゃんだって30歳過ぎてからだったし」に決まっていた。
人生は予定通りに行かないことばかりでも当たり前だが、30歳を跨ぎ、35歳を超え、40歳が近づいた頃にはさすがの母も何も言わなくなった。
母にとっては、子どもがいなければ結婚の意味が薄かったのであろう。

40歳くらいで結婚した友人がいる。
不妊治療もしたが早々に見切りをつけたという彼女に
「わたしの叔母、昔の人にしては晩婚だったんだよね。んで結局子どもいないけど、夫婦仲いいんだ。よく旅行とか行ってて、なんかすごく楽しそうにやってる。」と伝えた。
センシティブな話に安易に返してしまったかと思ったものの、友人はふにゃにゃけた顔で
「あぁ、そういう話聞くとなんか安心するよ。うれしい。」と言ってくれた。
おねえちゃん、ありがとう。
おねえちゃんが楽しく生きる姿を見せていてくれたから、私の友人はちょっと笑顔になった。
あの瞬間のおねえちゃんは、友人にとって「おばさん」だったのだ。

私が反面教師として軽蔑した老人はとうに亡くなり、結婚当初「お人よしな感じはするけど、なんだかおじさんぽくてお姉ちゃんには似合わない。」
と生意気な義理の姪っ子(私)に思われていた本当に人のいい叔父は、思ったより早く数年前に逝き、
ほどなくして悪意なく子どもを望んでいた母も亡くなった。

そして人が引きこもるしかなかったこの夏、48歳の私は結婚をした。

おねえちゃんは「あなたのお父さまから『我が家に一大事がおきた』って知らせを受けまして」を皮切りに、テンポよく歌うような早口で祝いの言葉をまくしたて、この事態への怨嗟を口にした。
「死ぬまでに海外50か国は行きたいと思ってたのに、これではちょっと難しいわ」

何歳になろうとも、結婚しても、一人になっても、今住んでいるのが東京でなくても、おねえちゃんはやっぱりあの「東京おねえちゃん」だった。
その姿勢でいることに、困難が伴っていたのか、好きなようにした結果なのか、今ならわかる。その二つは矛盾しないのだ。

「おばさん」を蔑称でも自虐でもなくニュートラルに自称することはそう難しくはない。ただ、受け取り手が同じ意識ではないところだけが難しい。
そんなことは百も承知で、あえて(他人の中の)おばさんの定義も書き換えていこうとする岡田さんはなんと難しいことに挑戦しているのだろう。
SNSで岡田さんの発言をそう思って見ていた。だが、この著作を読んでその考えが少し変わった。
目標の位置が高いから取れるルートの種類や裾野は広くなる、というだけなのだ。
自称する人が存在するだけでも、少しだけ世界はかわるのだ。
友人が、おねちゃんの話を聞いて少し笑顔になったように。

私は他称の「おばさん」も全く不当ではない年齢なので、自称したところでたいした波及効果はない気もする。
でも「自由を生きる非・お母さんとして」は心掛けたい。
私が私を生きている、そのままでの姿で、好きなように。
判断に迷ったときは、ちょっとでもマシな自分になるほうを選ぶ。
どっちもかわらないなら、おもしろい目にあいそうなほうを選ぶ。
世界の幸福度の総和があがることは、軽率に。
「人それぞれ」につながることは、慎重に。
東京おねえちゃんからその自由な魂を引き継いで、呼称は現代にアップデートして「東京のおばさん」を自称して与える者として生きる。
たぶん、とても楽しい。



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