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犬が欲しくて仕方なくなると、僕らは車を1時間半走らせる

この記事は、世界各国の物書きによるリレーエッセイ企画「日本にいないエッセイストクラブ」への寄稿です。第5回目のテーマは「思い出の写真」。9人目はイタリア在住・すずきけいがお届けします。文末に前回走者の紹介と、次回以降のお知らせがあります。

過去のラインナップは随時まとめてあるマガジンをご覧ください。

僕たちには行きつけのアグリツーリズモがある。「行きつけの」って言うとちょっと気取った感じがするけど、要は気にいってそこに何度も通っている。

アグリツーリズモというのは農家が自宅を改装し、レストランや宿泊施設として人を受け入れている施設のことだ。昔の農家は大家族で、しかも使用人もいたりしたから家がすごく大きかった。だけど今の時代は規模の縮小や機械化などもあって、そこまで大所帯にならない。だから、余った部屋を有効活用するために観光施設として客を呼べるよう整備したのが始まりだ。

そこいらのホテル顔負けの部屋数を持って商売としてやっているところもあれば、少ない客室で本業の片手間にやっているような施設もある。農家としては使っていない巨大な家を有効活用できるし、お客としては普通のホテルとは違ったちょっと変わった体験ができるからお互いにニーズがある。

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僕らがよく行くアグリツーリズモはまさに本業の片手間にやっているタイプで、客室は1部屋しかない。キッチン付きなので夕食はなく、朝食もパンやヨーグルトをテーブルに置いとくから適当にやってねという感じ。あまり商売っ気がなくて居心地がいい。

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僕らがそこを気に入っていたのは、車で1時間半くらいの距離で手軽に旅行気分を味わえるのもあるけど、それ以上に彼の存在が大きかった。

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名前はブレンディ。見ての通り犬。めっちゃかわいい。最初は警戒されていたけど、何度か通ううちに顔を覚えてくれたのか、向こうから飛びついてくるようになった。

そのアグリツーリズモには、とにかくたくさんの動物がいる。ニワトリと七面鳥とアヒルとウサギと豚とヤギとロバが全部合わせて40匹くらいいる。あとブレンディを含め犬が2匹と猫が1匹。

ときどき、近所の人が飼いきれなくなった動物を持ってくることもあるらしい。それ受け入れるのすごいなと思ったけど、彼らにとっては多少増えてもあまり違いはないのかもしれない。しかも、基本的には家畜ではなくてペットなんだとか。ときどき食べたりもするらしいけど。

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これだけ動物がいると、敷地内をぶらぶら散歩するだけでも楽しい。近くには湖とか山とかワイナリーとか観光できそうな場所もあるけど、僕らは特に何をするでもなく部屋にこもり、気が向いたら動物を見ながら散歩するというのが定番の過ごし方になった。動物がたくさんいると娘が喜ぶし、僕らも気分転換になる。

「うちも犬飼いたいねえ」

初めてそこのアグリツーリズモに行ってからというもの、妻はしきりにこんなことを言うようになった。完全にブレンディにやられている。

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犬を吸う娘。

ブレンディはとても頭がよくて活発だ。ある時オーナーに、野山を散歩したいんだけどどこかいいところはないか尋ねたら、「どこでもそのあたりを歩けばいいよ」という答えが返ってきた。僕は心配性で細かいことが気になる質なので、道があるのか心配だというと「ブレンディを連れていきなよ」という答えが返ってきた。

ブレンディを連れていく? 半信半疑でそのまま散歩にでかけたら、ほんとにブレンディは僕たちの先導をしてくれてびっくりした。

気付いたらさっさと先に行って見えなくなってしまうんだけど、しばらく行った先では「早く来いよ」みたいな顔をしてちゃんと待っているので侮れない。立ち止まって写真を撮っているとそばで待っててくれるし、分かれ道でブレンディとは違う道を選ぶと、トコトコ戻ってきてまた先導してくれる。

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1時間くらいぶらぶら歩いて、そろそろ帰ろうかと引き返すと、またトコトコと戻ってきて、家までの近道を先導し始めた。実はロボットか何かで、誰かがリモコンで操作しているんじゃなかろうかと思う。

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夜になると、僕たちの部屋にするりと入り込んでくる。夕飯の時間を狙って来ている節もあるけど、ソファーでくつろいでいるとそのまま横に上がってきて、くるりと丸くなって寝はじめる。免疫のない僕らは、もうそれだけでハートを射抜かれてしまう。

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イタリアでは、飼い犬は家族と同じように扱われる。自分の子供の頃は、犬は外に小屋を置いて飼われているのが当たり前だったけど、イタリアでそんなことしていたら動物虐待で通報されると思う。

市によっては散歩は必ず1日3回とか、散歩のときは過運動になりすぎないよう飼い主が自転車に乗ってはいけないとか、ルールが細かく決められていて、違反するとそこそこ重い罰則がある。ちなみに罰金600ユーロ(約72,000円)くらい。まあ実際はそれを取り締まっている場面を見たことはないけれど。

ブレンディは運動量の多い犬種だけど、特に散歩に連れていってもらっている形跡はない。その代わり、放し飼いにされてそのあたりの野山を好きに駆け回っている。一度、オーナーにどこからどこまでが敷地なのかたずねたら「自分もよくわからないんだ、あの山まではそうだと思うけど」と正面にある近くの山を指さされた。ブレンディにとってはいい環境なんだなと思った。

犬は飼いたいと思うけど、いろいろと手間がかかることを考えると、僕たちには手が出せずにいるのが正直なところだ。1日3回の散歩とか、日本に一時帰国している間の預け先とか。それに、いろいろ調べるうちに犬種によっては気軽に飼えないこともわかってきた。僕らにとっては、会いたくなったときにたまに泊まりに行くくらいがちょうどいいのかもしれない。

新型コロナの影響もあって、このアグリツーリズモにはもう1年ぐらい行っていない。

なにしろ商売っ気がないから、あまり積極的に客を集めてもいない。去年の夏、状況が少し落ち着いたあたりに、あなたたちがよければ泊まりに行きたいとメッセージを送ったら、「おばあちゃんが怖がってるから今は受け入れできない、ごめんね」という返答がきた。本当に商売っ気がない、そこがまたいいんだけど。

イタリアは寒くなってまた感染者が増えたので、このアグリツーリズモにもしばらくは行けなくなった。自分たちはこの思い出の写真でもながめながら、また行ける日を心待ちにしているのだ。

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前回走者、ネルソン水嶋さんの記事はこちら。

常識は国によって違う(もちろん人によっても)って頭では分かっているけど、その場に行かないとなかなかイメージできないもの。そんな常識の違和感をこれでもかと集めた記事です。ざざーっと流れてくる写真を眺めているだけで、ちょっとディープなベトナム旅行をしている気分になれます。

そして、次回のバトンを渡すのはインドネシア在住の武部洋子さん。前回の記事はこちら。​

やっばいなー、アジアのごはん(語彙不足)。見てるだけで喉のあたりがムズムズしてくる。イタリアもごはんは美味しいけど、やっぱりアジアのごはんって特別なんです。店頭に炭火を並べて大鍋振るう姿なんて、それだけで食欲をそそります。

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