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真夜中に、空から揚げ油が降ってきた話を書いてもいいですか

しまった、タイトルだけで書きたいことを全部書いてしまった。
「うん、よくわかった」という方は、このままそっとページを閉じていただいてもいいと思う。

残ってくれた方に、もう少しだけ詳細を書きたい。

事件は深夜1時に起こった。早く寝なきゃと思いながらソファに寝転んで、ダラダラとYouTubeを見ていた時だった。

突然、上階から悲鳴が聞こえた。

「うぉお」と「うわぁ」の中間のような、男の悲鳴だった。

続いて、けたたましい打撃音が、今度は下階から鳴り響いた。金属をでたらめに叩いたような、けたたましくてにぶい音だった。音は5秒ほど続いて止まった。少しだけ反響して余韻を残し、それからしんと静かになった。

最初の悲鳴が聞こえてから静かになるまで、時間にしてわずか15秒ほどの出来事だったと思う。

え、なに、いまの?

音の発生源は、間違いなく外だった。上の階と下の階の両方。奥の部屋で寝ている妻と娘は、聞こえていないのか起きる気配もなかった。

我が家は寝るときは鎧戸を閉めるので、外の様子はよく見えない。隙間からそっと覗いてみたけれど、けたたましい音が響いた以外は、特に変わったことはないように見えた。

なにか事件だろうか。だとしたら、外には出ないほうがいい気がする。

イタリアは別に治安の悪い国ではないけれど、それでも日本とは少し事情が異なる。インターホンを鳴らして、住人がドアを開けた瞬間にスタンガンを突きつける強盗がいるという話を聞いたこともある。

もう一度、鎧戸の隙間からそっと外の様子をうかがう。

真っ暗で何も見えない。でも誰かが外に出ている様子もなかった。それで、少し迷ったけど、そのまま外には出ないで、そっと電気を消して寝ることにした。戸締まりは、いつもより入念にチェックした。

翌日、起きてから外に出てみたが、特に変わったことはないように見えた。下階のパン屋はいつもどおり営業を続けているし、上階の住人の様子はわからないけど、なにかが起こったような気配はなかった。

なんだったんだろう、昨日の音は。

妻に「昨日こんなことがあってさ」と話をしたけれど、原因はお互いに見当もつかず、何だったんだろうねと言い合って話はそのまま終わった。外は何かが起こった痕跡もなく、いつもどおりの朝だった。それで、そんなことがあったこともそのうち忘れてしまった。

事件の真相がわかったのは、それから1週間ほどしてからだった。妻の携帯に突然大家さんからメッセージが届いたのだ。メッセージは以下のように、シンプルにまとめられていた。

夜中に火のついた揚げ油を、鍋ごと落とした人がいるようです。そういうことは危ないからやめてください。

え、なに? どういうこと?

なんだそれは。全然分かるけど全然わからない。内容を見るとメッセージは妻だけにあてたものではなく、おそらく住民全員に一斉配信したもののようだ。

一応、それは我が家じゃないぞという意思表示も含め、妻が大家さんに連絡を取ってみた。

あの、メッセージ見たんですけど。

大家「ああー、あれ上の階の人なのよ」

すでに犯人がはっきりしていることに少しほっとする。で、何かあったんですか?

大家「それがね、夜中に揚げ物しようとして、鍋に火がついちゃったらしいの。それであわてて鍋ごと外に投げたみたい。よかったわー、火事にならなくて」

投げた? 火のついた鍋ごと? 上の階3階やぞ。

大家「上の人、手に火傷したんですって、かわいそうに」

ああー、そうですね……かわいそうですね。何事もなくてよかったですね。

電話は切れた。

いやいや、火事一歩手前やんけ。十分に大事件である。もしタイミングよくベランダに出てたらと思うとゾッとする。火がついた揚げ油を、3階から外に投げてはいけない。

とはいえ「よかったわー、火事にならなくて」で済ませるのは、大家のおばちゃんとしてもことを荒立てたくないのだろう。こちらとしても、被害がなければ面倒な争いはしたくない。これにて、話は終わった。

実はこの事件が起こったのは何年も前の話だけど、ベランダの手すりに残る油染みを見るたび、このことを思い出す。イタリアは日本とちょっと違うから、たまには予想がつかないことも起こる。そのたび「まあ空から揚げ油が降ってくるよりマシかな」と思い直すのだ。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます! サポートいただいた日は、ちょっと贅沢に生パスタを茹でます。