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貧乏人の食事

この記事は、世界各国の物書きによるリレーエッセイ企画「日本にいないエッセイストクラブ」への寄稿です。第4回目のテーマは「お腹が空く話」。8人目はイタリア在住・すずきけいがお届けします。文末に前回走者の紹介と、次回以降のお知らせがあります。

過去のラインナップは随時まとめてあるマガジンをご覧ください。

世界中に散らばる物書きたちのエッセイ、今回のテーマは「お腹が空く話」である。食に関してはわりかし恵まれた国イタリア。ネタは何でもあるだろうとタカをくくっていたら、書く段階になってふと迷ってしまった。

イタリアの美味しいもの、パスタ、ピッツァ、生ハム、ワイン、チーズ、リゾット、ティラミス……。とにかく思い浮かぶものが多すぎる。選択肢が多いと迷うし、迷うと筆が止まる。どうしようかな、と思いながらこれまで撮った料理の写真を見返していると、ふと目が止まるものがあった。

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これだ、貧乏人の食事だ……!

貧しい庶民のための食事

美味しいものを紹介するはずなのに、なぜ「貧乏人の食事」なのか。不思議に思った人もいるかもしれない。いやそれ以前に、言葉使いにはいろいろとセンシティブにならざるをえないこの時代に「貧乏人」とは何事か、というお叱りの声も聞こえてきそうだ。

でもこの言葉にはちゃんと意味がある。なのでどうか、もう少しだけ読み進めてほしい。そして、この言葉のカラクリを知っている方は、このままニヤニヤしながら読み進めていただきたい。

さて、タイトルにもある「貧乏人の食事」とは、イタリア語に訳すと「クチーナ・ポーヴェラ(cucina povera)」となる。cucinaは「料理」を、poveraは「貧しい、みすぼらしい、哀れな」などを意味する言葉だ。そしてそれは言葉通り、かつて貧しい庶民が食べていた食事を意味する。

どこの国でもそうだけど、イタリアも昔は貧しかった。パンやパスタに欠かせない小麦は貴重品で、家畜のために栽培されていた豆が主食になることもあった。

そんな暮らしの中でも、なんとか美味しいものを食べたい。そんな庶民があの手この手で工夫して、新しい料理を生み出していった。

食材は決して贅沢なものでなく、手元にある限られたものばかり。レストランで食べるよそ行きの料理ではなくて、家庭でマンマが作るような、シンプルな調理法の素朴な料理。でも素材の味が生きていて、じんわりと、ほっとするような美味しさがある。それがクチーナ・ポーヴェラの正体だ。

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冒頭で紹介したポレンタもそんな料理のひとつ。上の写真ではお皿の左側にあるドーム状の黄色いペーストがそれだ。トウモロコシの粉を火にかけながら練って、お粥のように仕上げたもの。穀物の粉っぽい独特の匂いがあるが、ゆるめの餅のような食感で食べているうちにハマる。

食べ方は基本的にパスタやパンなど、炭水化物の代わりと考えておけば間違いはない。パスタの代わりに肉やキノコ、チーズなど濃いめのソースと合わせたり、パンの代わりに肉系のメイン料理に添えたりする。翌日に残ったポレンタをスライスして、軽くオーブンで焼いて食べても美味しい。

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ちなみにポレンタの調理風景はこんな感じ。「火にかけながら練って」とサラリと書いたが、美味しい粥状になるまでには、鍋の底が焦げ付かないよう40分〜1時間も混ぜ続ける必要がある。最初はさらさらの粉も練っていくとだんだんネットリして重たくなるので、とにかく体力と根気が必要だ。

もちろん家で作るときはこんなおっちゃんは出てこないし、もっと小さな鍋で作るが、それでも大変な作業であることに変わりはない。最近は手軽なインスタントポレンタもあるので、ズボラな自分はもっぱらそれを使ってしまう。

ちなみに、自動でかき混ぜ続けてくれるモーターと電源がついた電動ポレンタ鍋なんてものもある。イタリアに住んでいるなら一つくらい持っててもいいかと思うけど、ポレンタしか作れないし、そもそもいいやつは銅製で結構な値段がするのでなかなか手が出せない。貧しい食事を作るのに鍋だけ高いってのも……ねえ。

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このチャレッダも、クチーナ・ポーヴェラと言われる料理の一つ。

時間が経って固くなったパンを軽く水に浸し、トマトやタマネギ、バジル、オリーブなどと合わせてサラダにしたもの。固くなったパンも水に浸せば食べられるんじゃない?って大雑把に考えちゃうところがいかにもイタリアっぽい。食べてみるとさっぱりしてるのにお腹にたまって、食欲が減退しがちな暑い夏にぴったりだ。

チャレッダは南イタリアのプーリアやバジリカータの料理だけど、トスカーナにもパンツァネッラという似たような料理がある。

イタリアでは昔から「Il pane non si butta mai(パンは捨ててはいけない)」と言われる大切なものらしい。日本でも「一粒のお米には七人の神様が宿る」とか言うよね。そう考えると、チャレッダは冷や飯を有効活用するような感覚に近い料理なのかもしれない。

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これはフェガテッリというトスカーナの料理。豚のレバーに網脂を巻き付け、ローリエやスパイスで風味づけして焼いたもので、中世の頃からある料理と言われている。昔は家畜をしめても、美味しい精肉は地主や神父に納めなければいけなかったらしい。庶民の分け前は残った内臓で、それでも美味しく食べようと知恵を絞って生まれた料理なのだとか。

今では網脂なんてなかなか手に入らないから、豚を飼っている農家でもない限り家庭で作ることはまずないと思う。トスカーナの肉屋ではよく生のフェガテッリが売られていて、自宅に持ち帰ってフライパンで焼けば、立派な夕飯のおかずが一品でき上がる。レバー+脂という材料から想像できる通り、しっかりこってりした味わいで、ワインやパンがいくらでも進む。

以前自分のブログで「イタリア料理で一番美味しいものはサラダだ」なんて書いたことがあった。イタリアのサラダってとてもシンプルで、レタスやタマネギ、オリーブ、ツナなどをボウルに入れたら、あとはオリーブオイルとビネガーを適当にかけるだけ。(あとお好みで塩と胡椒)ドレッシングなんてなくても、オリーブオイルの風味と野菜の味だけで十分に美味しい。

その美味しさの秘訣は地中海の太陽の恵み……なんて書くとちょっと気取りすぎだが、そう思いたくなるほどイタリアにはシンプルなレシピが多い。それは、贅沢な材料がなくても美味しい料理を作る、先人の知恵が生きているからなのかも。

前回走者、ベルリン酒場探検隊の記事はこちら。

ドイツといえばソーセージとじゃがいも。誰もが「やっぱりそうなのかな?」と思っている疑問に真正面から答えてくれる記事です。その答えはある意味で予想通り。でも圧倒的なソーセージの種類は予想以上で、いかに愛されている食べ物なのかがうかがえます。そういえばボルツァーノ(イタリアのドイツ語圏)で食べたソーセージも、びっくりするくらい美味しかったな……。

そして、次回のバトンを渡すのはチリ在住のMARIEさん。前回の記事はこちら。

鍵をかけておいたにもかかわらず、盗まれてしまった自転車。実はミラノも自転車泥棒の多い街で、頑丈な鎖の鍵をかけているにもかかわらず、サドルやタイヤだけ盗まれている自転車をよく見かけるんですよね……。また新しい、素敵な自転車に巡り会えることを祈っています。

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