見出し画像

俺たちは市川雛菜に伝えたい

沼の中にいる。
沼の名をシャニマスという。

0.

『noctchill』というユニットは、ジュブナイルを根幹に据えたユニットである。
この場合のジュブナイルとは今風でいえばエモい、もう少しいえば青年期への懐古。
過去に未練がない人なんていない。それが未熟だった頃であればなおさらだ。
俺たちは『noctchill』が魅せる特有の”青さ”に、懐かしさと、同調と、後悔と、自嘲と、羞恥と、それらがない交ぜになったもので感情を揺さぶられる。
そのメンバーの市川雛菜は、俺たちが遥か昔に捨て去った、あまりにも純粋な幸福論を眼前に突き付けてくる。
楽しい?と訊かれて楽しいと答えられるだろうか。幸せ?と訊かれて幸せだと答えられるだろうか。

1.

市川雛菜の「楽しい」だけを選び取るライフスタイルは完成され過ぎている。その確固たる意志と行動理念は15歳の少女が持つにはあまりに頑なだ。
普通の15歳が出来ることなんて主張がせいぜいで、その主張も自分以外を顧みない身勝手なものと相場が決まっている。もちろんそんなものはどこかで頓挫して、納得いかずに反発、というのがよく耳にする等身大のエピソードだ。
だが、市川雛菜は自身の望む日々のために歳にそぐわない駆け引きを多用する。予兆を感じ取れば避け、時には狡猾に牽制し、避けられなければ戦う。主張が手段の1つでしかないと、15歳の俺たちは当時理解できていただろうか。

雛菜すごいぃ~!(決まり手:罪悪感固め)

ただ、市川雛菜の早熟ぶりは、あくまでその駆け引き力に留まる。土台となっている「楽しいことだけをする」という理念の幼さと脆さはいうまでもないだろう。俺たちはこのくだらない世界のままならなさを知っている。それだけで順風満帆に生きていける世界なら、疲れ切った現代人のあらゆる悩みも、思い悩んで自ら命を絶つ人も、俺たちの胃痛だって存在しない。
ガチガチに固められた頑丈な殻は、自分の意見は必ず否定されるという意識の裏返しでもある。つまり、市川雛菜の完成されたメソッドは、否定され続ける中で育まれたものではないだろうか。
無垢さのみで形作られた幸福論は、ともすれば幼さの凝縮だ。幼い市川雛菜が何をきっかけに「楽しいだけの世界」に執着し始めたのかはわからない。幼いうちは慈愛の目が向けられるだけだっただろう。だが歳を重ねるにつれ、市川雛菜が抱えるアンバランスさが顕在化し始める。大人たちは見かねて、市川雛菜の"世界"を否定する。
大抵の大人ってやつは、正しいだけで勝手で横暴だ。この年頃の少女には正しさだけが全てではない。結果、殻の厚さだけが積み重なって、一度信じた幸福論を盲目的に追い求める少女が誕生する。自分は自分のことしかわからないなんて、共感を貪欲に求めるはずのこの年頃が持っていい諦観ではない。

そんな諦観を持つのはもっと後でいいと思うのは、勝手な大人の感傷だろうか。

そんな否定と共に生きてきた市川雛菜に転機が訪れる。もちろんアイドルになったこと、そしてプロデューサーと出会ったことである。
市川雛菜がこれまで観ていた世界は、この年頃が観る狭いものよりさらに狭い息苦しいものだった。
アイドルという環境は、市川雛菜の"世界"を肯定する。また、プロデューサーも大人であるはずなのに、市川雛菜の生き方を否定せず、理解した上でより「楽しく」なるように導いてくれる。
否定の中で生きてきた市川雛菜にとってこれは驚くべきことで、価値観をひっくり返すには十分な出来事だろう。

今まで否定されてきた「楽しくしあわせ~」がそのまま肯定されて、思わず戸惑いを見せる。

好きなことだけして生きていく。一時期流行ったこのワードは、スタート地点に立てつけられたハリボテに過ぎない。好きの先にも相応の苦しみはあることを、俺たちは知っている。
市川雛菜はアイドルに向いている。本人も口にしている通り、それは間違いない。アイドルの幸せがファンを幸せにする幸せスパイラルの構図は、市川雛菜とあまりにもマッチしているからだ。
市川雛菜の適正を信じているからこそ、WING編のプロデューサーは苦悩する。アイドルも「楽しい」だけで構成されているわけではない。避けては通れない苦難はきっとやってくる。けれど、プロデューサーは、俺たちは、そこで雛菜に今までのように逃げて欲しくないのだ。「楽しくない」の先に、「嫌い」の先に、より強い輝きがあることを知って欲しい。その輝きを掴んだ市川雛菜は、もっと「楽しくて」「幸せ」なはずだから。

根性論で諭すつもりはない。苦しみの先に幸せがあるとは限らない。苦しみの先に苦しみがあることもある。それでも、一握りのかけがえのない輝きに出会うことがある。このくだらない世界で、信じられるものなんてそれくらいしかないから。
WINGの優勝を経て成長した雛菜を見て、俺たちは思うのだ。
―――あぁ、もう無敵だ。

俺たちは市川雛菜に伝えたい。

殻の内側から世界の暗闇ばかりを見つめていた少女は、手を引いてくれる人と出会って、世界の輝きを見つけ始める。

俺たちは市川雛菜に、このくだらない世界の良さを伝えたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?