ロックとジュブナイルと。~ワールプールフールガールズによせて~ #第6回シャニマス投稿祭 #イチ推しシナイベ
『ワールプールフールガールズ』が好きだ。
『ワールプールフール』は素晴らしい。
でもみんな、全然『ワールプールフールガールズ』の話、してなくない?
わかるよ。クソ長いからね……。
その文量たるやあの『明るい部屋』と同等レベル。
長い、ただそれだけではあるけれどノクチルが担当ユニットでない人たちもいるわけで、それを考えるとこのハードルは決して低いものじゃない。
しかも『ワールプールフールガールズ』は太い本筋にいくつかのモチーフを重ね合わせて最終話ですべてを回収する構造になっていて、ちゃんと理解しようと思うと文量と相まってやたら体力が必要になってしまう。
けどこの際タロットだとか将棋の話をどうでもいいんだよ!!!!
『天塵』で『ああいう輝き』と表現されたノクチルの魅力が、『天檻』で輪郭を持ち、『ワールプールフールガールズ』でガチガチの実体をもって殴ってきた!!!
ぶん殴られた私はリングに大の字になりながら「ノクチル最高だ」とのたまう以外にも、色々と自覚させられて驚いたりもしていた。ここまで強く殴られたら、さすがに何に殴られたかぐらいはわかるから。
『ワールプールフールガールズ』が好きだ。
『ワールプールフールガールズ』は素晴らしい。
そこに、ノクチルの輝きを見たから。
だから、私が見た輝きの話をさせてほしい。
1.『ワールプールフールガールズ』のロック
・なんで冗談なんですか〜?
いやもうのっけから最高だぜ。
でも、この雛菜と円香の発言を見て「?」となる人さえいるんじゃないだろうか。なんたってアイドルの文脈では決してない。
個人的にこのような文脈を”ノクチル文脈”と呼んでいるが、歴代でもパンチが強いこの一幕はあくまで『ワールプールフールガールズ』の起の一部でしかない。
この多様性の時代、アイドルだって型があるようでないようなものだとしても、最低限アイドルを定義づけるものはきっとあるはずで、今回雛菜と円香に投げかけられた言葉はおそらくそれらの中の1つだった。
この「冗談でしょ?」は常識的/固定観念的な意味合いとも取れるが、「大丈夫だよね?(解散しないよね?)」のような心配/期待の意味合いで取ると途端に重みは変わってくる。後者はファンからノクチルへの感情と重ねることができるからだ。
いうまでもなくファンの存在はアイドルをアイドルたらしめる要素であるはずで、アイドルである以上その手を振り払うことなんてできるわけが―――うわあああめっちゃナチュラルに振り払いおった!!??(大歓喜)
そもそも発端になった解散発言は”浅倉透のいつものやつ”なのだから、事実だけなら答えはYESでしかない。ではなぜそう答えなかったのか。
反抗。ある種の抑圧への抵抗。
解散しないよね?→どうして決めつけるの?私たちの自由ですよね?
あ、アイドル……?ロックバンドではなく?ライブでギター折ったりしてない?本当に?
ノクチルの何が最高なのかという問いに、今の私なら「アイドルなのにアイドルじゃないから」という矛盾した回答を返すかもしれない。
シャニマスだって変化を肯定しながらも永遠を謳うアイマスの枠の中にいるという自己矛盾コンテンツなのだから、実はノクチルってシャニマスらしさでは一番なのではと思い始めてすらいる。
だってファンからの期待に対してアイドルが取れる文脈はどうやって応えるか、応えられずに悩むかくらいのはずで、いや私たちの勝手だが?はノクチルでしか用いられないロジックだ。あまりにノクチルすぎる。
思い出すのは『天塵』実装当時、初仕事でかました新人たちが「アイドルなめんな」とシナリオ上だけでなくリアルでミニ炎上していたらしいという話。私は特殊性癖を拗らせているのでこの話を聞くたびバキバキに興奮しているのだが(ちなみに最近はとおまのが叩かれているのを見て絶頂している)、この件を見るにどうやら元来アイドルには誠実さみたいなものが求められているらしい。
まぁ人気商売なのだから当然なのだけど、そこに一石を叩きつける様に惹かれるアイドル事務所のプロデューサーくんもなかなかにロックじゃねえか。
そんなノクチルの姿をみてきた俺たちが各自ノクチルバンド妄想を幻視してキャッキャッしていたら公式から教室掃除用具バンドという強すぎる正解を叩き付けられて悶絶したことは記憶に新しいが、『天檻』までのイベコミュがノクチルが幼馴染4人で在り続ける物語なのだとしたら『ワールプールフールガールズ』はノクチルという”アイドル”の物語であるといえる。
振り払った手をどうするのか考えるなら最初から振り払わなければいいのに、振り払ってから考えるのがいかにもノクチルらしくていいんだよな。
・われわれは、自由でいたいです〜
結論として、ノクチルはファンからの声援に応える(返す)ことにしたらしい。
殊勝にみえて、その理由は『自由でいたい』からという、そのアイドルらしからぬなんともらしい答えが嬉しくなってしまったのだから、こちらも既に重症かもしれない。
めちゃくちゃ不本意っぽい言い草で苦笑いしてしまうが、『みんなほんともっとキレていい』と自覚はあるようで、その上での結論なのだから、よりロックであるといえるだろう。
本当にそうだ。でも、『天塵』から彼女たちの在り方を見せつけられ続けた俺たちは、ノクチルにはノクチルで在り続けて欲しいに決まっている。
ファンとの関係性が一方通行でないことをアイドルの定義の1つとして考えるなら、今回彼女たちが選んだ形はノクチルで在り続けながらアイドルであることも選んでくれたとも取れるわけで、そうだったらすごい嬉しいよな。
2.『ワールプールフールガールズ』のジュブナイル
ロックとアイドルは反発する部分が多い一方、ノクチルのもう1つの要素であるジュブナイルはアイドルとの親和性が高い。
”あの頃”の青さとか若さとか、限られた時間故の尊さ、懐かしさや郷愁のような、ノクチルを見ているとわけもわからず泣きたくなることがある。
ジュブナイルはロックとも相性が良く、実はノクチルとはその青さを接着剤にしてロックとアイドルという本来交わらないものを繋げている存在なのかもしれない。
・ひっくり返しにいく
『ワールプールフールガールズ』は話の構成がとにかく美しい。
昔の知人に借り物を返しにいくというアクションが最終的にノクチルとファンとの関係性に繋がるというのも素晴らしいし、その中で変わらず4人でいるノクチルと変化した知人たちの対比を描き、透たちがアイドルとしてのノクチルに答えをだすという構成はため息が出るほどの完成度だと思う。
ノクチルが導き出した回答はめちゃくちゃ身勝手なんだけどめちゃくちゃフェアで。
それは幼馴染4人の世界観が強固すぎるからなのかもしれないが、彼女たちにとって昔の知人とファンは大して違いはないのかもしれない。
・永遠に一緒にいるより、今を永遠みたいにしたい。一緒に。
最高だぜ。失礼、ロックがはみ出た。
本当に言葉選びが素敵すぎる。それに尽きる。
ずっと一緒にいよう、じゃないんだ。
いつかそうじゃなくなることをわかっていて、それでも願いをこめて、とかじゃない。
永遠に一緒にはいられないけど、“今”が永遠なら、”今”はずっと、永遠でありつづける。
それはきっと、願うよりも確かなことだ。
悪友に、一緒にバカやろうぜと誘われたような気分だった。そんなの、断れるわけがない。
ノクチルがノクチルでなくなる日はいつかくるけど、多分それは、放課後友達と遊んで別れる時みたいな気安さなんだろうな。
俺たちも、おう、また遊ぼうなって手を振れたらいいな。
3.ロックとジュブナイルと
こちらの6.5周年企画が今さら『ワールプールフールガールズ』の記事を書くキッカケになった。
『ワールプールフールガールズ』は冒頭でも書いた通り取っ付きづらい部分があるし、何より投票対象が今までのイベコミュ全てでバケモノばかりなので1位を取れるとは思っていないのだけど、それにしたって投票少なすぎるだろ!?と衝撃を受けたので書いた次第。
だってなぁ……今回書くにあたって読み返したら当然のように最終話で意味わからんくらい泣いたし、今スクショ見返しててもウルウルしてるんだぞ!?
いや、わかるよ?ざっとTL見て投票集中してるコミュにも納得感あるし私も1つに絞りきれなかったし!
思い返してみたら『ワールプールフールガールズ』実装直後あんまり騒がれてなかったことに気づいて放心してしまったのだけど、私は何故か『ワールプールフールガールズ』がみんな大絶賛の大人気コミュだとそんな気配もないのに確信していて、実際の投票状況をみて自分の認識との乖離に驚いてしまったんだよ!!(他の自分の好きコミュが上位取りそうなので余計に)
別に上位を取らなくてもいいんだ!
「いいよね……(ニチャア)」ってしたいだけだから!!!
まだ投票していない人、票数制限ないので既に投票している人も、一人の後方腕組みおじさんを助けると思って『ワールプールフールガールズ』に清き一票お願いします!!!