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ストローで吸われたような強い風

ベランダで文庫本を読んでいたら強風にあおられ、ページがバラバラとめくれてしまった。本そのものまで飛ばされそうな勢いだったので、合掌するように慌てて閉じた。

栞は挟んでいなかった。さっきまで読んでいたページに戻ろうと、再び文庫本を開いた。たしか、ペンギンの話をしていたはずだ。ペンギン、ペンギン、と口に出しながらページを手繰る。しかしその間も風は止まず、僕が手繰ったページは何度も風に押し戻された。

ストローで吸われたような強い風だった。マックシェイクを一滴も残したくないときの音が、残響として鳴っていた。雲が速く動いて、日差しが遮られた。

風が強くて良いことは、ひとつもない。外に出れば髪は乱れるし、野球をすれば打球の行方が変わるし、海に行けば波が荒れる。外出と強風の相性はすこぶる悪い。幸い、在宅が奨励されている今だったから、窓を閉めることによって強風のストレスからは解放される。コノヤロウ風吹くんじゃないよと、独り言には小さく呼吸には大きい声量でぼやいた。風の音の方が大きかった。

ビュウビュウと、風の音は鳴り止まない。僕はベランダをあきらめて、部屋に戻り窓を閉めようとした。すると今度はバタバタと、力強い音が聞こえた。僕は閉め切る直前の窓からひょっこり顔だけ出して、音の行方を追った。音の発生源はすぐに特定できた。その音は、隣の民家の庭から聞こえていた。

隣の民家の庭先で、鯉のぼりが泳いでいた。サイズ違いの大中小3匹が強風を受けて、尾びれを強くはためかせていた。どこを見ているのか分からない眼は大きく、丸かった。きっと屋根より高くないが、その流線形は雄大だった。風が強ければ強いほど、彼らの川は広がった。彼らは休日の住宅街を誰より自由に泳いでいた。

鯉のぼりを見ていると、安心した。希望とか健康とか、そういうイメージと結びついているのかもしれない。風が強くて良かった。僕は安堵のため息をついて、窓を閉めた。冷蔵庫の残り物をかき集めて、食べきれない量の焼きそばを作った。そしてそれを残さず食べた。ソースが濃くて、いかにも子どもが喜びそうな味だった。

濃い味は美味しい。そう感じているうちは、なんというか、まだまだ大丈夫なのだと思う。現に、割り箸がうまく割れなかったことを、これっぽっちも気にしていない。

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