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良い靴は、

ネギゴリラ細野さんという先輩芸人がいらっしゃる。

細野さんはおよそ180cmの長身と自他ともに認める甘いマスクと甘い声でフォロワー爆発スター街道まっしぐらのはずが、このご時世に「自分には向いていない」という理由で各種SNSをまったくやらないというトンガリをお持ちの、尊敬すべき愛すべき先輩である。

先日、そんな細野さんから「昼下がりにコーヒーでも楽しまない?」とお声かけ頂き(LINEはギリギリやっている)、僕は「楽しみましょう!」と英文和訳のような二つ返事で馳せ参じた。

集合場所は原宿のカフェ。その日は平日で雨模様だったが、原宿駅前には中高生と思しき若者が外なのに所狭しとひしめき合っていた。

「諸君、本日は雨天さりとて平日なり。学校へ行きなさい、けしからん!」

と僕は彼らの校長気分で怒鳴りかけた。しかしふと冷静に考えてみると、20代半ばの成人男性が背広も着ず平日昼間に駅前をうろついていることの方がけしからん。僕はのど元まで出かかった校長を胸の奥にそっと仕舞い、ニット帽を目深にかぶって視界狭しとカフェへ向かった。

カフェには先輩の細野さんが先に到着していた。駅前で内なる校長と対話をしている場合ではなかった。僕は校長収束故の遅刻を謝罪しようと席に着くなり

「す、すみません・・・。」

と小声で話し出したが、細野さんは

「全然いいよ。むしろ急がせちゃってごめんね。飲み物頼んじゃいな~。」

と鯨のように寛大な心で許してくださった。

清掃が行き届いたきれいな店だった。店内の装飾は白を基調とし、白熱電球の光が映えていた。テーブルやソファは丸みを帯びており、店全体がドーム状の構造をしていた。映画『時計じかけのオレンジ』に登場する『コロヴァ・ミルク・バー』を色反転させたような、近未来的な空間だった。落ち着くまでは少し時間がかかりそうだった。

注文はすべて卓上のタブレット端末から行われていた。郷に入っては郷に従う。僕は店員さんにキョドる手間が省けたと安堵を覚えながらブレンドコーヒーを注文した。

僕が注文確定のボタンをタップしたところで、細野さんがおもむろに口を開いた。

「今の俺を止められるのは、ジェロニモ。お前しかいない。」

甘いマスクから放たれたその一言は現実味がなく、まるで映画のようだった。ヴァイオレンスな計画に、僕は知らず知らずのうちに巻き込まれていたのかもしれない。店員さんでなく先輩にキョドりそうになった僕は、ドルーグ化した細野さんを刺激しないよう、恐る恐る返答した。

「それは、どういう意味でしょうか?」

僕は、細野さんの次の一言を待った。その言葉次第では僕までドルーグの一員に組み込まれかねない。細野さんは大きく深呼吸をしてから、真剣な表情で言った。

「俺、スニーカー買っちゃうかもしれない。」

僕は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。スニーカーとは何かの隠語だろうか。買うとは、どういう行為を指すのだろうか。あらゆる可能性が頭の中を駆け巡った。脳の指令は声帯にうまく伝わらず、僕は声なき声で応答した。

「ア、アア・・・。」

細野さんは真剣な表情で続けた。

「原宿にニューバランスあるじゃん。あそこ行って、ちょっと良い感じのスニーカー買っちゃいそうなんだよね。買っていいかな。でも3万円くらいするよね。どう思う?」

僕は冷静さを失ってはいけないと自分に言い聞かせた。駅前で中高生よりも自分の方がけしからんと判定できた冷静さを、今こそ取り戻すのだ。

「アア、ハイ・・・。」

脳の指令が声帯に正常に届き始めた。徐々に理性が戻ってきたようだ。走馬灯のように、頭の中で瞬間的に会話の流れを整理する。

どうやら細野さんは「原宿のニューバランスショップでちょっといい感じのスニーカーを買おうとしている」らしい。そして、僕はその相談を受けている。僕が背中を押せば細野さんはスニーカーを買うし、ストップをかければ再考するといった状況のようだった。

「お待たせしました。ブレンドコーヒーです。」

ちょうどそのとき、注文していたブレンドコーヒーが届いた。給仕は人間の店員さんが行っていて、現実味があった。コーヒーを一口飲むと舌は深い苦みを感じ、香ばしさが鼻に抜けた。それはまさしく現実のものとして僕の味覚や嗅覚が知覚したものであり、どこか懐かしい「現実」の味がした。

「ねえジェロニモ、どう思う?」

細野さんの質問がはっきりと聞こえた。質問の意味も理解できた。「スニーカーを買うべきかどうかについて、ジェロニモはどう思うのか」ということだ。コーヒーのおかげで現実味を取り戻した僕は細野さんの相談を真摯に受け止め、「靴は良いものを履くべき」という持論を滔々と展開した。

ちなみに持論と言っても繰り返したことはひとつだけ。僕が何となく大事にしている、どこかで誰かから聞いた言葉である。

良い靴は、良い場所へ連れて行ってくれる。

僕の持論をウンウンと聞いていた細野さんは、コーヒーを飲み干してぴしゃりと言い放った。

「よし決めた! ニューバランスのスニーカー、俺は買う!」

モンキー・D・ルフィの倒置法を駆使して決心した細野さんは、勢いそのまま僕のコーヒー代まで支払い(ご馳走様でした)、原宿のニューバランスショップに向かった。

長い脚でスタスタ進む細野さんを僕は短足で追いかけ、ニューバランスショップに到着。あれよあれよという間に試し履きを済ませて、有言実行でお買い上げなさった。

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ニューバランスのM1500。かっこいい。これは間違いなくかっこいい。僕であればキョドり続ける店員さんとの会話も細野さんは流暢にこなし、颯爽とお会計を済ませていった。

ニューバランスショップを出て原宿駅へ向かう。夕暮れ時の竹下通りは昼下がり以上に中高生で繁盛していた。およそ一回り若い彼らを見た細野さんは、

「このくらいの年代に顔バレするようにならなきゃなあ。よーし、頑張ろ~。」

と内なる校長を召喚させる間もなく至極前向きであった。若手芸人かくあるべしとポジティヴなお手本を見せていただいたところで原宿駅に到着。僕は、

「コーヒー、ご馳走様でした。」

と遅すぎるお礼を申し上げた。細野さんは爽やかに返した。

「全然いいよ、むしろありがとう! 次はこのスニーカー履いて、フェイシャルケアでも楽しまない?」

良い靴は、良い場所へ連れて行ってくれる。それは逆説的に言えば「良い靴を履いて行ったところは良い場所」ということだ。

僕はフェイシャルケアの何たるかについては無知蒙昧だが、寵愛する一丁羅ニューバランス990との心中を決めて二つ返事で頷いた。

「楽しみましょう!」


追記:2020年4月13日、ついに細野さんがTwitterを始めました。

楽しみましょう。

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