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やあやあ我こそは

「やあやあ我こそは」

かつて武将たちはこのように名乗りを挙げてから戦を始めていたらしい。一方いまごろ僕はといえば、群雄割拠の芸人戦国時代とも言える今日の良き日に、名乗りも挙げずにのうのうとnoteを更新し続けている。清兵衛でもないのにたそがれている。武士も芸人も間合いが大事。この間はおそらく、名乗りの、間。やあやあ我こそは、鈴木ジェロニモと申す。

どうも、鈴木ジェロニモです。

鈴木ジェロニモという名前はもちろん芸名であり、本名は鈴木尚(スズキヒサシ)と申す。栃木県の県庁所在地・宇都宮市からやや北に位置する、栃木県さくら市(旧・氏家町)で鈴木家の次男として生まれたスズキヒサシ。スズキヒサシと声に出して読むと息がモレモレ破擦音マシマシの、言われてみれば確かに読みにくい名前であることがわかる。芸人たるものまずは声に出して読みたい名前にすべきと齋藤孝先生が仰っていたような、いないような。
何はともあれ人様に読みやすいようにわざわざ偽名を持ち出して「ジェロニモ」と名乗っている。声に出して読みたくなる。しかしあいにく日本語ではない。先生、申し訳ありません。

そんなことより此度は何故「ジェロニモ」と名乗るに至ったのか、そこんところをお目汚し頂戴したい。

遡ること6年前の2013年春、スズキヒサシは上京したばかりの大学1年生だった。

僕は何かに取り憑かれたかのように「大学でアカペラを始める」という野望を持っていた。『ハモネプ』という番組が大好きで、男女が複数人集まって声を合わせる様子が、いわゆるジャパニーズ「大学生」のステレオタイプ的な、『オレンジデイズ』的な側面を僕に想起させていたのかもしれない。映画『横道世之介』のワンシーンのような、人人人で溢れかえった新入生歓迎活動、略して新歓活動最高潮の大学構内をくぐり抜け、僕はアカペラサークルの入会手続きを済ませた。

その夜、アカペラサークルの新歓コンパ(新歓コンパ!)があるというので馳せ参じた。聖地・高田馬場を知ったのはこのときが初めてだ。

ピザ食べ放題で名高い某ェイキーズでの新歓コンパ。ノン・アルコホオル。極めて健全な会合だった。某ェイキーズは意外とポテトが美味しい。

同期となるであろう新入生と、サークルの先輩方、合わせて150人はいただろうか。それほどの大人数でも名前を覚えられるようにと、全員が左胸に名札をつけていた。名札と言っても、千切ったガムテープに油性ペンで名前を書いて貼るだけの、世界で最も簡易的な名札だった。

僕はもちろん「鈴木尚」と書いていた。名札だから、本名を書くのは当たり前だ。

しかし、先輩型の名札を見ると、どうも様子がおかしい。

マッチョ
ミゲル
エル
ショパン
バッハ

変な名前の人が多いなあと思ったので、素直な僕は先輩に「変な名前の人が多いですね。」と言った。

「え、本名だと思った?そんなわけないじゃん!みんなあだ名だよ!」

そんなわけがなかった。どうやら、人数が多すぎて本名を覚えられないから印象的なあだ名で呼び合う風習があるらしい。ちなみに上に挙げた先輩方のあだ名の由来は以下の通り。

マッチョ(見た目がマッチョだから)
ミゲル(見た目がミゲルっぽいから)
エル(名字が「大森」で、おおもり→大盛り→Lサイズ→エルだから)
ショパン(ピアノが上手だから)
バッハ(上の「ショパン」さんに顔が似ているから)

バッハさんのやっつけ感。これぞ「大学生」の醍醐味だ。

そして僕も、例に漏れずあだ名をつけていただくことになった。某ェイキーズのテーブル席で、僕を囲むように先輩方が3人集まり、あーでもないこーでもないと話し合っている。リアル・文殊の知恵はこのときが初めてだった。これぞ聖地・高田馬場。

先輩A「そういえば君、その髪の毛はなんなの?」

当時の僕は、髪をジェルで固めていた。今でもジェルは使っているのだが、その当時は適量がわからず、それはもう固められるだけ固めていた。食べ放題で元を取ろうと苦しくなるまで食べてしまう感覚に近いかもしれない。何も、放題ではないのに。

放題していた理由としては、高校までずっと野球部で坊主で整髪料とは縁遠かったことが挙げられる。僕の髪は、スーパーハードジェルの供給過多によりガッチガチのガチになっていた。頭の中では伊勢谷友介をイメージしていたが、頭の外では仮屋崎省吾が花を生ける剣山のごとし。先輩はそれに目をつけた。

先輩A「君はジェルつけすぎだから、ジェル、ジェル・・・ジェロにしよう!」

先輩BC「ジェロってww 確かに誰とも被らないけどww」

僕「はい!わかりました!」

先輩A「え!?ごめん、本当にいいの!?」

僕「はい!」

先輩BC「ジェロww よろしくww」

僕は素直な野球部だから、返事はYESしか持ち合わせていなかった。

そんなこんなで僕は「ジェロ」を襲名した。大学4年間のほとんどをサークル活動に捧げ(てしまっ)た僕は、東京での友だち皆に「ジェロ」として認識されることとなった。上京したスズキヒサシは、東京でジェロになった。

大学の授業でできた友だちも、もちろんいる。
古着に詳しい金髪のヴァイオリン弾きと、ラルフローレンしか着ない体育会系幽霊バドミントン部員の、2人だ。彼らとはフランス語の授業が一緒だったが、何故か滅多に授業には現れず、教室の外で会うことが多かった。東京で僕を「ヒサシ」と呼ぶのは、今はこの2人しかいない。もとい、今も。

芸人としての活動拠点は主に東京になる。東京での僕はジェロだし、ヒサシよりも声に出して読みたいし、はじめは芸名を「鈴木ジェロ」にしようとしていた。しかし演歌歌手のジェロさんがいらっしゃるため、名前被りは申し訳なく、ジェロにニアレストな「ジェロニモ」に相成った。

こうして、鈴木ジェロニモは生まれた。

名前とは受動的につけられるものだから、自分の名前を能動的につけたのはこのときが初めてだった。「鈴木ジェロニモ」としての人生、それは僕にとって能動的に始めた第二の人生のような気がしていて、なんというか、晴れやかだった。何でもできる。何にでもなれる。そんな気持ちが湧いてくる。

鈴木ジェロニモを名乗り始めてから気づいたことがある。漫画『キン肉マン』に「超人ジェロニモ」というキャラクターが登場する(不勉強で申し訳ありません)ということだ。そのため『キン肉マン』ファンの方々からは、

「ジェロニモって、超人ジェロニモに由来しているんですよね!」

とお声かけいただくことがある。残念ながらそうではない。上記をご参照くださいませ。
「超人ジェロニモ」は、普通の人間でありながら超人になりたいと努力を重ねて最後は晴れて超人になるキャラクターだというが、知ってか知らずか、それはもちろん知らずなのだが、僕の気持ちに近いものがあるではないか。

何でもできる。何にでもなれる。そんな気持ちが湧いてくる。

ジェロニモを名乗ることで僕はこのような思考に至っていた。これはまさしく超人を目指す気持ちの現れなのではなかろうか。

「名は体を表す」という言葉があるが、まさしくその通り。僕は奇しくも超人を目指していたのだ。そんな鈴木ジェロニモとしての第二の人生。我ながらなかなか気に入っている。
皆さま、鈴木ジェロニモと申します。以後お見知りおきを。

先日、芸人の先輩にこんなことを言っていただいた。

「ジェロニモって、あんまりジェロニモっぽくないよね。」

近々、僕の第三の人生が始まるかもしれない。前言撤回甚だしいが、人の意見に流されやすい僕は極めて人間らしく、人を超えた「超人」には程遠いことがわかる。

「名は体を表す」という言葉があるが、まさしくその通り。

もとい、前言撤回甚だしいが、あれは嘘だ。

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