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読書記録「推し、燃ゆ」

温かくなってきて、読書がはかどりますね。
今週は、宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」を読みました。

<あらすじ>
学校では同調圧力についていけず、バイトでは臨機応変な対応ができず、家族に理解してもらうことも諦めている高校生のあかりは、アイドル上野真幸を推すことで、辛い日々を乗り越えています。あかりにとって「推す」ことは「解釈する」ことであり、推しに対する解釈をより正確なものにするために、ライブや舞台での表情を心に刻み、雑誌のインタビューを読み込み、歌詞の一語一語に思いを巡らすことに専念しています。
そんなある日、

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。

宇佐見りん「推し、燃ゆ」より

炎上する推しの解釈を続けた先にはーー。

宇佐見りん「推し、燃ゆ」河出文庫

<感想>
私はこの小説を、月に一回程度ライブに行っている大好きなロックバンドのコンサートの行きと帰りの電車の中で読み切りました。なので、この小説は私の推し活(ロックバンドは世間一般の「推し」とは異なると思いますが、私が長く好きでいて、解釈に時間をかけていることがロックバンドの音楽とライブなので、ここでは「推し活」とさせていただきます)の記憶とも結びつく大切なものになりました。もちろん、あらすじに書いた本作の最初の一文とタイトルの「推し、燃ゆ」からも分かる通り、あまり明るいお話ではありません。ですがSNSが普及し、嘘か本当かを問わず情報が交差する現代において、推しが楽しくライブしているというだけで、すごくありがたいことなんだと再認識できました。そしてどれだけ推しが推しであることが分かっても、私がファンであることは変わらず、ステージと客席の距離が縮まることはないのだということも。

読んでいる間、バンドのメンバーの一人が「スキャンダルでロックバンドの夢が覚めることが一番寒いから」とラジオで発言していたことを思い出しました。私はその言葉に救われて、その言葉をずっと信じてきました。ですが、「見えていない部分は解釈が難しく、想像することしかできないのでは。それこそが一番人間らしい部分なのではないか」とこの作品に問いかけられているような気持ちになりました。

この文章を書きながら、私も主人公や主人公の推しと同じように「自分のことが説明できない」未成熟な一人なのだと思います。でも、主人公あかりは好きなものに対する言語化が上手です。途中に出てくる主人公のブログは本当に愛にあふれていて、そっち方面の仕事はなかったのかな、、と思わず想像してしまいました。それとも、推しは日常生活のなかの非日常であることがいいんでしょうか。就活が本格的に始まる前にその答えも見つけたいです。

内容が世の中に受け入れられたこともそうですが、それ以前に「推し、燃ゆ」というタイトルが何を意味するのかが世間に伝わり、たくさんの人に読まれたという事実が、私にとってすごく嬉しいです。一人は好きだけど、独りは嫌だというわがままが叶ったような。

好きなものに苦しんで、好きなものに救われるって、なんだかおかしいですね。私はよくコンテンツを箱推し(全体を推すこと)してしまうんですが、コンテンツのファンも含めて愛おしくなることが多いです。推しがいるすべての人が、そして推し本人が、世間の目を気にせず、自分らしくいられて、美味しいご飯を食べて、ふかふかのお布団でよく眠れますように。

あとがきを読んで、「かか」や「くるまの娘」も読んでみたくなりました。
少し深呼吸をして、買いに行ってきます。

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