ブラックきんし!
上記の朝日新聞2020年7月29日の記事、内容は見出し以上のものではないんです。で、記事の趣旨はおいといて、”ブラック企業”って日本語は陳腐です。ブラック企業という言葉が先にできたので、意味が曖昧でどんな企業でもブラックになってしまう。
本題の黒人差別云々なんですが、日本の私たちとしては、この主張に対しては困惑する以上の対応は不要だと思います。
「ブラック企業」という日本語と黒人差別を結びつけたのは、バイエ・マクニール氏。日本で定期的に発生するブラックフェイス問題・最近話題の小沢健二のBlackLivesMatter運動(BLM運動)にかんする大迷走、それぞれバイエ・マクニール氏が絡んでいます。何がへんてこかというと、第一義的には米国の国内問題であるものを彼は日本へ輸入しようとしてくる。結果、歴史的・社会的文脈をすっ飛ばして米国の国内問題の上っ面をなでてるだけなのに、いつのまにか日本の私たちまで悪者にされるという謎展開が毎回起こるんですね。
BLM運動そのものは米国の黒人が一生を通じて経験する構造的/体制的差別に対するプロテストなので、じっくり主張を確認すれば理念としては納得できるものです。また、日本にも日本なりの体制的差別問題はあるので、わが身を振り返るきっかけにはなる。ですから、日本の普通の人が、米国の虐げられた人達に同情し連帯したくなるようなものの言い方をすればいいのに、”日本人は(米国内の)黒人差別に対する理解が浅い!”と叱ったり、悲嘆したりするんですね、この人。
例えば今回の「”ブラック企業”という日本語語彙」批判でも、”黒人にも日本語がわかる人がいるのにブラック=悪なんて悲しい”的に、日本人の日常生活・言語空間に無遠慮に踏み込んでくる。いっそのこと、「ブラック企業被害対策弁護団」(ブラ弁)の弁護士たちの人権意識を問い糺す! みたいな主張をすれば、該当の弁護士さんたちは当然人権意識が非常に高い方々なので、誠実に対応してくれたでしょうに。マクニール氏は活動家も自称していているので、彼の”日本国内における米国籍黒人の人権向上”運動の成功体験になったわけで、詰めが甘いですねぇ…
…というような感想を持つような案件です。ただ残念なことに、世の中の人達は俺様ほどやさしくないので、Twitter上では彼に対する罵詈雑言が結構見つかります。(noteにもちょっとあるね、ここだけの話)
本人の解説
本人のアカウントは大丈夫かな?とおもって @BayeMcneilをみに行きました。そしたら変な展開になっていた。
という発言に対して、返答しています。
訳: おそらく意図的でないであろうことは同意します。しかし白人至上主義者がレイシスト的な重荷をこの単語に盛り込んでしまったという理由で、申し訳ないのですが問題があります。日本語の黒なら問題ないが、英語の用語で人種差別的な含意で使う場合は、人種差別的な英語としての責めを負います。
*太字部分は同義語反復ですが、「英語で人種差別的な含意で」のところ、「英語で否定的な含意で」でしょうね。
朝日新聞の記事では、「日本人以外は日本語を解さない、と思われている表れかもしれない」と【ブラック企業という日本語】について発言しているのに、”ブラックという英語を使うと(米国の)白人至上主義者と同じ言葉遣いになる”という、日本語の黒はいいけど【(カタカナでも)ブラックは英語】だからダメ、と正反対の説明をしています。どっちでもいいんかい。
まあ、こちらとしても理由はどうでもいいんですが、
「ブラック」って日本語で使うときに、日本に住む米国籍の黒人が差別的な含意を感じるかどうか?を日本人が忖度しないと叱られるのは理不尽です。
一方”(米国の)白人至上主義者対策だから日本でもブラック禁止”は
①アメリカと同じようにことが進まないことを怒り出す かつ
②日本語(とか他の外国語)を深く勉強したことがないので言語全般に関する理解が雑
でないと出てこない発想。マクニール氏も黒人である前にアメリカ人なんだなぁという感想です。
いいこと考えた
とはいえ、差別問題に関してはきちんと対応するのが、個人の尊厳をベースに成立する成熟した民主的社会です。理由づけはぐだぐだでも、日本語の「ブラック」の使い方の正常化のために新しいルールを作ろうとするのなら、しいて言えばこんなやり方があると思います。
1919年以降に成立した「ブラック」を否定的な意味で使う日本語語彙は使用不可
これなら、少なくとも日本人の側の困惑は減らすことが出来るのでは?
なぜ1919年かというと、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で、大日本帝国が人種的差別撤廃提案を出したのがこの年。日本が人種差別撤廃のリーダーになろうとした歴史があったわけで、その理想をきちんと継承してくださいよ、というメッセージにもなる。
この人種的差別撤廃提案は、会議の議長だった米大統領ウッドロウ・ウィルソンがまとめる意思がなく否決。
ちなみに、BLM運動の盛り上がりを受けて、プリンストン大学のウッドロー・ウィルソン・スクールが名前を変えた挙句彼の銅像を撤去したりしています。残念ながら人種的差別撤廃案の扱いというよりは、大統領在任中の彼の政策が人種差別的だったから。マクニール氏が日本におけるリーダーとなっている、ウィルソン大統領批判という観点から日本のBLM運動に連動させることもできるし、落としどころとしては美しいんじゃないでしょうか?