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絶対に笑ってはいけないブラックフェイス

2017年の大晦日 「ガキの使い!大晦日年越しSP 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」が放送されました。その中で、ダウンタウンの浜田雅功がエディ・マーフィに扮するにあたり顔を黒塗にして登場。英BBCや米ニューヨーク・タイムズなどの批判を受ける形で国内でも話題になっています。

今更なんですがこの話、なんでこんなに議論が迷走するのか? 建設的な方向に物事が動かないのか? よく分からないんです。
① 過剰なポリティカルコレクトネスはお笑いを委縮させるから許せ。
② 海外の基準/黒人の歴史に対する勉強不足だからNG。
③ 差別意識がないんだからOK。
…とおおまかにみっつ論点があると思うんですが、どれもなんかもやもやする。

お笑い云々でいうと、言論の自由という原則からしても、お笑いが委縮するのはいいことではありません。とはいえ、ヘイトスピーチには言葉だけでなくシンボルやしぐさ含めて最初から言論の自由はない。ですから、プロフェッショナルであれば、ひりひりするようなネタであっても、ヘイトスピーチのカテゴリーに入らない範囲で笑わせるのが仕事。類似の事例でいうと、ノッチのオバマの物まねは怒られなかった。(日焼けサロンには行ったようですが)ノッチの肌が黒かったのは日焼けだから。てっとり早く黒塗りにしなかった理由は、本人が勉強したか周りがちゃんと指導したかなんだろうと想像します。ノッチみたいにプロとして「シャレになる」範囲を見切る仕組み・ノウハウと誠実さが必要になるわけですが、例えばアメリカのテレビのトークショーの放送作家は、数名のチームで仕事します。ライターズ・ルームと言われる会議室にこもって、みんなで徹底的にネタだしをする。一方、日本のテレビ番組の制作体制はそこまでいってないようです。その辺の足腰の弱さがでたたせいで、今回考え抜かれていない番組が制作されたと思われる。ですからお笑い芸人の側が委縮云々を盾にこの件を議論するのは、プロとしては志が低いことなんじゃないでしょうか。考え抜いてくれる放送作家をちゃんと雇っていたら、つまらない騒動は回避し、かつ笑えるものを制作することが出来るはずです。

次に、黒人の歴史についての勉強不足についての論点※。それぞれの国や地域で差別はなくしていかなければなりませんが、日本の私たちがアメリカ国内の黒人の差別の歴史についてどこまで知っていて、国内向けの日本語の情報発信でどこまで注意しなければならないか? というのは別の問題。アメリカの黒人の歴史とと昨今の現状は日本人の問題ではなくてアメリカの問題ですよね。とはいえ、日本人は日本国内・外に存在するさまざまな差別にたいする思想的な足腰が弱いというか、行き着くべきところである「平等」とは何か?ということについて具体的なイメージがない。結果、平等がわからないから差別もわからないという当たり前の事態が起こり、さまざまな差別に対して判断する枠組みが貧弱になる。人種問題ではありませんが、最近のはあちゅう#MeToo炎上なんかは典型例じゃないでしょうか。歴史に対する知識を議論する以前の問題というか…

最後に、「差別意識がなければOKだろ?」という主張についても、繰り返しになりますが平等とは何か?をつきつめていないのが災いする。「自分たちが考える平等に照らし合わせてこれは差別ではい」という説明をともなわない主張なので、頭悪い奴が開き直ってるだけに聞こえるんです。

日本人がアメリカの差別の歴史を勉強する義理はない、でも 頭悪い開き直りはみっともない…… じゃあどうすんだよ?ということなんですが、そんなに難しいことなんでしょうか?逆の立場になって考えればいいだけだと思います。

海外の人からJAPっていわれたらみんな不愉快ですよね?
ただ今日現在、”JAP”を差別用語としてどれくらい黒人の市民を含めた平均的アメリカ人が認識しているか? というと、かなり認知度は低いと思います。アメリカで日本人が差別されるケースはなくなった、ということでは決してないんですがピンポイントで日本人を差別する文脈は(反捕鯨団体以外では)解消していて、東洋系ひとくくりでの差別になっている。というわけで、J.A.P.はJewish American Princessの略称という別の差別用語になってます。富裕なユダヤ系の家庭の甘やかされた女の子たちを揶揄する言葉ですが、やっぱり差別用語なのは興味深いところです。
あるいは、イギリス英語では日本人の蔑称はNIPになります、とか、オーストラリアでは単なる略称と蔑称と両方でJAPを使うんですとか、侮蔑される 側もいろいろ忖度しなければならないとすると、めんどくさくてしょうがない。

加えていえば、東洋人のマネなのでストライクゾーンが広いのですが、ツリ目ジェスチャーも、私たちに対してやられたら面白くないし不愉快。

であれば、その言葉を使う人・しぐさをする人の意識については無知・無関心がベースになるにせよ、頭ごなしに無知を非難するのはあまり生産的ではないでしょう。「(悪気がないのはわかるんですが)歴史的な経緯があって不愉快なので、JAPとかNIPとかツリ目とかやめてもらっていいですか?」と言うだけ。そのとき相手が恐縮して、「知りませんでした、ごめんなさいもうしません」と言ってくれれば、許してあげればいい。

一方、敵が「差別してねーし」「知らねーし」「委縮するとお笑いは面白くねーし」と開き直ったらどう思うか? ってことです。
・本音では差別したいから、バカのふりして差別用語を使っているクズ
・無知に開き直る救いようのないバカ
・差別的なことをしないと笑いをとれない、ネタの開発にお金と手間をかけることが出来ない貧乏人
ですよね。

日本人はクズでもバカでも貧乏人でもないんだから、ブラックフェイスとかつまんないこと「ごめんなさいもうしません」でいいのに、と思いますけれども。


註※ 日本人の不勉強を責めるバイエ・マクニール氏の文章はこちら