若くて痩せてる10代のころの母親から迫られるプレイボーイ息子の苦悩~名作映画「バックトゥザフューチャー」~

 85年の米国映画「バックトゥザフューチャー」は、多くの日本人にとってとても思い出深い作品に違いない。自分の過去のことでもないのになぜか懐かしく、30年前の自分の両親のことや、現在の自分自身のことなどを考えさせられる。

 90年代からすでに何度も観ている映画なのだが、観るたびに何かしらの発見があるような気がする。おそらく、観る側の自分自身の年齢や環境もその都度変わるので、「この歳になって観てみると、こういう風にも思えてくるんだなぁ」とか、あらためて気づかされるからなのだろう。

 と、ついつい感傷的な文章を続けてしまいたくなる。みなそうに違いない。特にこの映画を観た後はたぶん…。

 さて、冒頭、深夜の実験中に、エメット・ブラウン博士は過激派の襲撃を受ける。護身用のピストルをあわてて取り出して、なんとか応戦を試みるもむなしく終わる。この場面で彼が取り出したピストルをよく見てみると、西部劇などで見かけるピースメーカー(コルト・シングル・アクションアーミー)っぽいことがわかる。

 もちろん懸命な読者の皆様はすぐに気づく。パート3で西部開拓時代へ行ったマーティが、男から(宣伝目的のため)ぜひ使ってくれと頼まれるピストルだ。

 1作目の、過激派に襲われるこの場面を見ただけでは、なぜここでピースメーカーが使われるのかその理由はよくわからないことになるが、3作目まで見てみるとその意味を改めて考えてみたくなるわけだ。

 いろいろあって、マーティは30年前にトリップする。そしてそこで、18歳の時の若くて痩せている頃の母親と出会う。母親はもう最初から、マーティに積極的に迫っていく感じだ。何しろ話しかける時の距離がやたらと近い。ソーシャルディスタンスは一切無視だ。経験豊富な読者の皆様はすぐに気づく。「まったくもって積極的にアプローチするときの迫り方ではないか」と。異性を口説くときはとりあえず物理的な距離を縮めますね。まさしくそのとおりです。自分のことに興味を持っているかどうかではなく、その物理的な近さが、相手をドキドキさせるわけですね。そして勘違いする。「この人が魅力的だから、私はいまドキドキしてるんだ」みたいに。

 さて、話が若干それたが、もともとマーティはプレイボーイ(死語)。普段なら、10代の女の子に慌てることは無いのだが、なにしろ相手は、自分のことを息子と知らない若き日の母親。しかも、同世代の男の子に対して、想像していたよりもはるかに積極的ではないか。これはまずい。付き合うわけにもいかないし、どうしたらいいんだ、というわけである。

 とはいえ彼には、この母親と若き日の父親をどうにかして結び付ける、という重要なタスクがあるので、迫ってくる母親の扱いに苦悩するというヘビーな心理的ストレスは、若干緩和されている。

 兄弟が何人かいる場合でも、母親と相性の合う息子もいればそうでない息子もいるだろう。もし、相性がわりと合う母親と息子だったら、「息子ではなく、同世代の赤の他人として若いころの母親と出会っていたら、父親(になる予定の人)よりも相性の合う息子のほうを選んだかもしれない」などという疑問も浮かんでくる。

 血を分けた息子なら、赤の他人の夫よりも相性が合ったとしても不思議ではないではないか。

 とこのように、いろいろなことを考えたくなってしまうのが、名作「バックトゥザフューチャー」なのである。

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