子どもの挑戦を後押しできる大人でありたい
あなたは、子どもたちがこのようなことを言ってたらどう答えますか?
小学生「ぼく、将来はユーチューバーになりたい!」
中学生「わたしは歌手になっていろいろな人に感動を与えたい」
高校生「レベルの高い大学を受験して最先端で研究したい」
いかがですか?
この3人の夢を、あなたはどう捉えますか?
素直に応援したいと思いますか?
私は、この3人の夢を後押しできるような大人でありたい。
どんな理由にしろ、最初から「無理だ、やめときなさい」と挑戦の機会を奪う大人になりたくないな、と最近思う。
きっと、そのような大人たちは、子どもたちが本当に夢を叶えたときにこう言うと思う。
「運がよかっただけじゃないの」「もともと才能があっただけ」と。
このことについて1人の教師として、1人の大人として考えていきます。気軽にご覧いただけたら嬉しいです。
失敗を恐れる子どもたち
大学の4年間や教師生活2、3か月の知見でしかないが、「失敗を恐れて」行動する子どもたちが一定数いるんだな、と気づいた。
そこには「失敗してみんなから笑われたらどうしよう」や「自分が情けない奴だと思われないかな」といった思いが見え隠れしている。
その根底には自己肯定感の低さや周囲から認められたい思いがあると最近思うのです。
「出る杭は打たれる」という言葉、ありますよね。
周囲から良くも悪くも目立つ人は周囲から妬まれたり非難を浴びる、という意味。
これを恐れるがために「同調圧力」という形で教室内で目立つ者は制裁されてしまうのでは…と思ってしまう。
だから、授業でも発言をして間違えるのが怖いから手を挙げられない、リーダーのような目立つような役割をしたくない、といった「失敗を恐れる子ども」が一定数生まれてしまうのだと思う。
このような子どもたちはどうなるか。それは「挑戦を恐れる」ようになる。自分に自信が持てない子どもになってしまう。
この問題を解決するためには、教師や親含めた大人たちが「失敗したっていいんだよ」「また挑戦すればいいんだよ」というメッセージを伝え続ける姿勢が大事だと思っている。
大人は社会の現実を知っている
冒頭の3人の言葉に戻ります。
ユーチューバーや歌手になる、難関大学を合格することは、とても難しいこと。「普通の人間では無理じゃない?」と思ってしまう。
大人たちはこれらを現実的でないと思うから「やめときな」と言うのだと思ってる。
私自身も社会の本当の厳しさを理解しきれていないかもしれないな…。
しかし、その子どもたちが真剣に夢に向かって努力をしていたらどうでしょうか?
誰よりも多くの時間を割いて勉強をして、コツコツと行動に移していたらどうでしょうか。
応援したい、と思いませんか。私はその子たちを本気で尊敬しちゃう。
本気で難しいことに立ち向かっている、と本人たちが誰よりも強く感じていること。
本当に狭き門だと理解した上で挑戦しているのです。
その覚悟を周囲の大人が認められるかどうかが、この子たちの理解者になれるかどうかにかかっているのです。
結果ではなくプロセスに価値がある
さて、この3人が人生で一番努力したと言えるくらい努力を重ねていたとしましょう。
結果が出ても出なくても、本人たちは失敗を繰り返し、時には挫折して投げ出したかもしれない。
辛くて辛くて苦しい思いをたくさんしてきたはず。
私は、何かに向かって一生懸命努力したことは、未来の自分を支える糧になると信じてる。
あのときあれだけ努力したのだから、今度もまた挑戦できるかな、と思えることが何よりも財産だと思ってる。
結果ではなく「プロセス」に価値がある。
狭き門に挑戦する3人に感じてほしいのは、それに挑戦してどんなプロセスを経たのか、何を感じたのか、ということだ。
だからこそ、私は子どもの挑戦を後押しできる大人でありたい。
子どもの可能性を信じて、成功体験や失敗体験をたくさんしてほしい。
最初から「無理」と決めつけて挑戦の機会を奪わないように、子どもの思いや考えに傾聴できる大人でありたいな。
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