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2022.7.18 ブログは「明るい遺言」!?

7月18日(月)海の日
ちょっと前の話になるんですが、タレントで中川翔子さんっていますよね。彼女のある言葉が、私の行動の芯になってるって話をしたいと思います。

どんな言葉かというと・・・
『ブログは「明るい遺言」』という言葉です。
ちょっとドッキッとする言葉ですよね。

で、私のどんな行動に影響してるかというと、この朝礼やそれを文章化している「note」(ブログ)なんです。
つまり現在、この朝礼や「note」は、私の「明るい遺言」だと思って発信しているということなんです。
まあ、明るいかどうかはさておき、そう捉えて欲しいと思っています。


じゃあなぜ、その「明るい遺言」というワードに共感したかというと・・・

私が山形に来てこの会社に入ったのは19年前なんですね。
その当時の彦市社長からは、「3年間は外に出なくていいから工場でそば粉の勉強をしてくれ」と言われていました。

なんですが、たった3週間で彦市社長が病気で入院することになって、対外的な交渉や会合に、私が出ないといけなくなりました。
その年は運悪く、北海道に2回台風が来た年で、国産原料がかつてないほど高騰して大変な年でした。
当時農協さんと畑回りをしていて、「鈴木さんこの畑、どうですか?」と質問されて、蕎麦も農業も全く分からない私は返答に困った記憶があります。また、当時の井上工場長からは、原料の配合を決めてくれと言われて、何を頼りに決めていいかわからなかった記憶もあります。

当時は勘も経験も何もないので、何か教科書のようなものが欲しくて、とりあえず蕎麦と名のつく本は手当たり次第読むという毎日を過ごしましたし、同業者の会合にはなるべく行って情報を得たり、雰囲気を感じるようにしました。

でも、一番欲しかったのは、彦市さんの「頭の中」だったんですね。
残念ながら、闘病虚しく60代で亡くなり、重要なことはあまり聞けなかった印象です。
自分がまだ未熟だったので、何を聞いていいかわからなかったというのが正解かもしれません。

そこで一番感じたのは、「彦市さんの頭の中の情報や考え方が、何かの文章になっていれば良かったのに・・」ということです。
もし、文章に残っていれば、それをベースにして、会社をさらに発展させることができたのではないか?と感じたからです。

それから時が経って、私もそれなりに思うことができてきたので、「考えていることを文章に残そう」・・・そんな風に思っていた時に出会った言葉が、さきほどの「明るい遺言」という言葉なんです。


まあ、私は長生きするつもりなので、すぐに役立つことはないかもしれませんが、これからも、朝礼やnoteで発信していくので、私からの「明るい遺言」としてみなさんも受け止めて欲しいと思います。


それでは今週もよろしくお願いいたします。


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