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えらべない彼

彼にはじめて会ったとき、ツンと鼻をつく異臭に一瞬、怯んだ。

嗅いだことのない臭い。なんて言えばいいのか「クサイ」ではすまされない鼻の奥まで刺激臭が突き刺さってこびりつく臭い。犬臭いともちがう。汗臭いともちがう。全身から漂ってくる、蓄積された身体全身にこびりついた刺激臭のような形容できない臭い。貧困と臭いは切っても切れない。

彼の家庭もまた貧困だった。貧困のうえに彼の母親はネグレクトだった。ネグレクトとは育児放棄。放置されて育った子どもが彼だ。彼の母親は、結婚してふたりのこどもをうんだが母親になれず、女をつづけて浮気した。そして父親に見限られて離婚した。シングルマザーとなった母親は母親になろうともせずに、いつまでもひとりの女だった。離婚した母となるべき女は自分で生計を立てられる能力は有しておらず、常に男を必要とした。母となるべき女は、男にはかまうが自分でうんだ二人のこどもには無関心だった。女は子育てを放棄して男にのめりこんだ。子どもの存在は無視するのに自分の彼氏にはかまう。彼氏をとっかえひっかえかえては家で戯れる。

実質的に彼を育てたのはふたつ年上の姉だった。姉は否応なく弟を育てる責任をおしつけられた。高校生になった姉は生活費を稼ごうともしない母親のかわりにバイトをしてなんとか生活費だけでも工面しようともがいた。バイト先はスーパーを選んだ。スーパーだったら見切り品のお惣菜をただでもらえるから。廃棄するお惣菜を毎日家に持ち帰って弟のごはんにした。お惣菜が「何」なのか彼は名前を知らない。唐揚げなのか生姜焼きなのかだれも教えてくれないから。ただそこにあったものを食べるだけの生活だから。腹が満たされればお惣菜の名前なんて関係ない。

彼には意思がなかった。人は選択できる環境ではじめて、意思をもつことができる。

母親から「今日、何食べたい?」と聞かれたら、世の多くのこどもは「カレーライス」だの「ハンバーグ」だの無邪気に答えるだろう。彼に「何食べたい?」と聞いても彼には答えがない。何を答えていいのかわからないのだ。

彼は母親から「何食べたい?」と聞かれることなく育ったから。何を食べたいかなんて考えたことはなかった。姉が用意したものをただお腹が空いたときに食べた。ただそこにあるものを食べて過ごした。彼にとって自分で何を食べたいかなんて考えることは無意味なことだった。考えたところでそれを作ってくれる母親はいない。そんなことを考えても彼には選択権がない。だから意思というものを自分で示すことを彼はいつの間にか放棄した。

彼には選べないのだ。選ぶ権利を与えられなかったのだ。人が選択できるのは、選択肢をあたえられてはじめて選択できるのだ。何も与えられてこなかった彼は選ぶということを知らなかった。「何食べたい?」と聞かれても「わからない」としか答えられなかった。

自分の意思で答えられるのは、何をしたいのかを自分で考える機会をあたえられ、選択肢をあたえられてきた人ができる行動なのだ。彼にはこれまで選択してきた機会も経験もない。答えるためには選択できる意思が必要なのだ。彼に「何食べたい?」と聞いて「パン」でも「おにぎり」でもいい、一言でいいから自分の食べたいものを言えるようになるのはいつなのだろうか。

彼はいつ自分の「食べたいもの」を答えてくれるのだろうか。

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