名前には意味をこめない。
私の名前には、意味がない。
小学校高学年のときだっただろうか、自分の名前の由来を親に聞いて調べるという授業があった。
家に帰り、どんな意味がこめられているのだろうとワクワクしながら母に聞いたところ、予想外の答えが返ってきた。
「特に意味はないよ。」
あまりにもあっけない母の言葉が、ものすごくショックだった。
明日、先生になんて言ったらいいのだろう。
なぜ、私の名前に意味をこめてくれなかったのだろう。
そんなことをグルグル考えながら、翌日学校へ向かった。
正直に先生に言うと、すぐに辞書を持ってきてくれて、私の名前の漢字を調べてくれた。
そして「ほら、こういう意味があるよ。きっと〇〇っていう意味じゃないかな」と優しく言った。
子どもながらに、先生が気を遣ってくれていることが伝わってきた。
このできごと以来、私は自分の名前が好きじゃなくなった。
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どういうきっかけだったか忘れてしまったが、大人になってから再び母に名前の由来を聞いた。
「私の名前に意味をこめなかったのはなんで?」
すると、またもや予想外な答えが返ってきた。
「名前は、その子が一生背負うもの。そんな大事なものに、親がこういう子になってほしいなんて願いはこめられない。子どもは子どもなんだから。」
おぉ、なかなかいいこと言うじゃんと、我が母ながら思った。
そして、長年心につかえていたものも、スッと取れた。
私は、もし自分に子どもができたら、名前に意味をこめるのはやめようと決めた。
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その後、結婚し不妊治療に励むも、私は子どもを授かれなかった。
しかし、奇跡的に名付けのチャンスが訪れる。
息子は新生児委託だったので、私たちの考えた名前を実母さんが出生届に書いて提出してくれるのだ。
息子の名前は、私たち夫婦が好きな漢字を使い、音の響きで決めた。
無事に特別養子縁組の裁判が終わり、戸籍上も親子になれることを信じて、苗字と組み合わせたときのバランスも考慮した。
まだ見ぬ息子の顔を想像しながら、ふたりでうんうん唸って考えたのはいい思い出だ。
特別養子縁組団体のスタッフに「いい名前だね」と言ってもらえたのが忘れられない。
もちろん、私も「いい名前をつけた!」と自画自賛している。
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息子が大きくなったとき、自分の名前をどう思うだろうか。
好きになってくれたら嬉しいな。
そして、胸を張ってこう伝えたい。
「あなたの人生を、あなたらしく生きてほしいから、あえて名前に意味をこめなかったんだよ」と。
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