見出し画像

牛と暮らした日々-そこにあった句#05 新規就農

牧開き空と牧とはちがふ青  鈴木牛後
 (まきびらきそらとまきとはちがうあお)
 
「楽でもうかる酪農をやろう」
今から24年前に夫が私に言った言葉だ。

私は農家になりたくて大阪から北海道に渡ったのだが、野菜農家になりたかったのだ。酪農での就農は全く考えていなかった。その理由は、とてもきつくて辛い仕事じゃないかと思っていたのだ。

でも夫は、「放牧して生産コストを低く抑えれば、楽でもうかる酪農も夢じゃない」と言ったのだ。そして「野菜農家は農繁期は本当に休みがないよ。その点、酪農家には今はヘルパー制度があって休めるし、冬にも出稼ぎに行かなくていいし、それに放牧は楽なんだよ」と続けた。

そうか放牧は楽なのか。

………だまされた。

今でこそ楽な部分もあるが、就農当初は40頭の初産牛がほとんど放牧未経験で、放牧に行かないし帰って来ない。席から出ないし席に入らない。脱柵はするし行っても草を食べないで鳴いてばかりいる。人間が要領が悪ければ牛も要領が悪く、経験もなければ知恵もなく、力任せと全力疾走という日々だった。放牧のマニュアル本では慣れるのに数ヶ月と書いてあったが、うちでは本当にスムーズに放牧できるようになるのに3年かかった。

でも、今ではそんな苦労も昔話になった。「楽でもうかる」というのはひとまず置いといて、放牧はやはり良いものだ。山の斜面を牛を追って上り下りするのはアルプスの少女ハイジになったようで気分が良いし、市街地が一望できる頂上からの景色は最高だ。牛を迎えに行くと、ひんやりした朝の空気の中、眼下に雲海が広がっているのが見えたり朝日が昇ってくる瞬間が見られたり、夕日の美しさにうっとりしたり…。

さっきは、夫にだまされたと言ったが、牛を追って山を下っていると「やっぱりこの仕事が好きだな。放牧が好きだな」と思っている自分に気が付く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?