【日記】年始あれこれ
年始は久しぶりに人と会っていた。人間気ごころの知れた人を会うと安心するのか元気になる。人間関係は利害関係なので一番は自分自身がどん底に落ちない事が大事なのだけど、どん底に居ても変わらず居てくれた人というのは本当にありがたいと思う。浮き沈みの激しい人生なのでいろんな立場の人の都合を見てきた気がする。そういう都合は良い悪いがあったとしても尊重すべきだと思っている、人生は皆大変だから。でも自分の環境が変わった時、それでも相手の中に変わらない私が居た時少し安心するのかもしれない。それ自体は一長一短があるのはわかるのだけど、ほんの少しその懐かしさで生きていける気になる瞬間があると思った。私の場合は随分遠回りな言い方になったが、これがたぶん帰る場所がある感覚ってやつなんだと思う。
まずは友達と2回目の神社参りに行った。今回はSSR級の大吉をひいたのでおみくじガチャは終了です。ただ色と酒に溺れたらダメだよって事なので、やっぱり酒は飲んでものまれるなです。
あとは友達の近況を聞いたり、自分の話をきいてもらったりした後は、マッチングアプリの使い方とか音声SNSの事とかを教えてもらった。わかってるつもりでも世の中自分の知らない世界で溢れてるし、自分の常識なんてどこでも通用する訳では無いなと痛感する。合う合わないはあるので使うかどうかは別として、腐ってるよりは色々試してみる方が良いよなとは思った。でもとりあえず一番の目標は中途覚醒なく6時間以上寝れる日々を取り戻すなのでまずは寝たい。日中気絶するのが一番の幸せみたいな日々とまずはお別れするのだ。No鬱、Noストレス、めっちゃ睡眠。
その後元旦那が再婚するらしいのでたぶん会えるのもこれで最後だと思いながら会ってきた。世界で唯一自分の家族だったと思えた相手なのでこの世で一番自然体で傍に居れて、どうあがいても変われないから相容れない二人だったなと思う。憎みあわずに別れるはかなり無理があったが、呪いあわずに今いられるのでこれで良かったと思ってる。
10年以上一緒に居たが一度たりとも歩くスピードが合う事が無かった。結婚してる時は自分の幸せとは別に家族としての幸せも大事にしてたのでいつもどうやったら上手くいくかばかり考えてた。別れてみたら別の人間なので違っているのは当たり前で、人は変わる事も変える事も難しいのだから違う事を卑下してもしょうがないなと素直に思える。すり合わせは大事でももう無理に走って合わせる必要も無いのだ。だけど二人の幸せというのは作りながら積み上げていく自分だけの世界以外の幸せだと思うからそれを知れた事は幸せだったと思う。
色々と元旦那は相変わらずで心配にもなったが最後は元気でやるんだよと言って頭をなでてさよならした。出会ったばかりの頃は普通にあった髪の毛が妙にスカスカした(社会性フィルター)。年上の私がしっかりしなきゃ、がんばらなきゃってずっと思い続けていた。出会った頃の気持ちのまま随分時がたつのは一瞬だったなと思う。親が不仲で凄く気をつかう家庭で育ったから、自分で選んだ家族を憎むのだけはどうしても嫌だった。自分で決めて、可能な限り頑張って、結果どうであれ最後まで相手の幸せを願えるのなら自分にとっては十分幸せな選択だったと思う。
とはいえもうすっかり歳をとって体調は相変わらずだし、恋愛とか結婚とかいう歳でもないし絶賛社会不適合者なのですっかりこの先どう生きようかで頭を抱えているのだけど。健康と若さは本当に貴重な物だったと走馬灯を眺めながら思うのであった、来世に期待。
珈琲豆の福袋を買った。一年位前から少し珈琲にはまっていていろんな種類のドリップパックを飲んだりお店の珈琲を試したりしていた。そしてなんとなく酸味というものを理解してブラックで珈琲を飲めるようになったし、メジャーな豆の基礎知識くらいは覚えた。でも肝心の自分で豆をひいてドリップするという工程からずっと逃げていたので良い機会なので豆デビューした。
珈琲動画は山のように観てたので珈琲は豆、焙煎度合い、ひき目、お湯の温度等々で味が変わる、まるで科学の実験のような飲み物だというのは知っていた。とはいえドリップパック珈琲を一年飲んでいたのだからそんなに凄い違いがある訳でもないと思っていた。結論、自分で淹れた珈琲めちゃくちゃまずかった……泣いた。
ドリップパック珈琲、あれは意外と均一でそこそこな味になるようにできてたんだなと感心しつつ、同じ豆なのに毎回全然違う味になる豆ひきドリップ珈琲の世界は奥深かった。初めての手動ミルを使ったので豆の丁度良いひき目がわからなかった。最初は超粗目になってしまって、ドリップパックより美味しいのだけど何か違うなとなった。なので都度ひき目の調整をしていたのだけど、超細かめになった粉で淹れた珈琲は想像の斜め上をいくまずさだった。お湯を入れた後の珈琲粉が泥のようになっていてこれは地獄の沼の泥なのではと思う位やばかった。細かくしすぎちゃダメ絶対。
今も色々調整してるのだけど一日一、二杯しか飲まないのでまだ試行錯誤の最中だ。豆の香りをひく前、ひいた後、淹れた後と複数楽しめるのは何か優雅だ。特にひく前の豆の香りは種類ごとに全然違っていてドリップパックではここはわかりにくい所だったので気に入っている。あと自分でドリップしたほうが酸味はきちんと感じるので、ドリップパックの時のように無理にモカばかり選ぶ必要も無さそうだ。あとフィルターの紙で味が変わるっていうのはどうも本当のようだ。そんな些細な事で大げさに味が変わるはずないと思っていたが意外と紙のにおいって強いのを学んだ。
福袋に入ってた豆なので、5種類くらいしか試せていない。これからお気に入りの豆を見つけれるくらい続けられたらいいなと思う。まぁ夏になったら暑さに負けて水にポンと入れるだけの水出し珈琲に戻るのだけど。日本ではドリップ珈琲が主流みたいなイメージだけど世界中どこでもこの淹れ方で飲まれてる訳ではなく、浸透式という紅茶みたいな淹れ方が結構メジャーらしい。朝倒れない為のカフェインなので別に拘りは無いのだけど、プロの人の動画程、淹れる時の泡を育てるみたいなのをイキイキとやっているので私もなんとなくプロをまねて泡を育てて意識高めに朝テンションをあげている。とりあえず人に飲ませられるくらいになるのはまだまだ先になりそうだ。
このように映画の感想ではなく日常を書いてる時は気力切れなので早く元気になりたい。テーマを絞って継続的に続ける事が大事なのはわかる。だけどくだらない日記書いてるほうが楽しいので悲しい事このうえない。まぁ程々に頑張るし、noteより現実を頑張らねば。つらたん。