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忘れもの 。

はっ …くしょん !!

くしゃみをする。と腰が 悲鳴をあげた。
いま腰を 痛めている 。

サポーターを 買うべきか。と悩んでいると

昔 足首を 剥離骨折したこと
を思い出した。

中学生のときだ。

私は、体育館から帰るための
階段を 友達と降りていた。

最後の階段を降りるとき、
私は 足を踏み外したらしい。

瞬間、ビリッと足首がなった。

声も出せない 痛みが
私を襲い、動けなくなった。

苦しむ私の 横で 
"何してるの?" と 友達が
げらげら笑っている。


後から 聞いた話では、私は
この最後の階段を踏み外す 前にも
2回ほど 転けそうになっていて、

この時、友達は 何度も踏み外すので
私が からかっているのだ と思ったらしい。

げらげら笑っている 横で
私が 声も上げれない様子を見て
本当に 本当に苦しんでいるのだ と悟り

右往左往していた。


結局、私は クラスの子に 背負われて、
保健室まで 行った。

母が 車で迎えにきてくれて
その後、病院で サポーターを 貰った。

サポーターをした足では、
靴を履けないので、

校内で歩くための サンダルを
買った。

外を歩くときは 家にあった
サンダルを、

サポーターを していない方の
足は 、普通の靴で 。

何とも 奇妙な 格好だった。

暫くは、歩くことも辛いので
母に 車で送り迎えしてもらう事になった。

それは楽だったが、何とも寂しかった。


友達との 登下校。

大したことも 話さなかったり したが
小学校から一緒の2人と、

他愛の無いことを話しながら 歩く時間。

たまに、遠回りして帰ったり
寄り道したり、別れるのが惜しくて
暗くなるまで 一緒にいたり、
あるマンションの下で、自販機で買った
ジュースを飲みながら、永遠と話したり していた。

私には、その時間が とても楽しかったのだ。

それが無くなった。

何だか、取り残されるようで …

足首よ 速く治れ。そう思いながら
日々を 過ごしていた。


やがて、サポーターも外れて
普通の靴で登校出来るように なった頃、

やっと、友達との登下校が
再開した。

朝 ルンルンで 家をでる。

いつもの場所に 着くと、友達が
もう歩いて 学校に向かっていて

私は 走って追いかける。



ビリッ …

足首が …

また … なった …


瞬間、痛みで 
私は 歩けなくなり
うずくまる。


友達が 遠ざかるのが
見える。

何故か、その姿が
少しスロウに見えた。



暫くすると、少しましになり
痛いながらも、なんとか歩けそうだ。

私は、大声で友達の
名前を呼ぶ。

気付いた友達は
私が 追いつくまで待ってくれて

やっと、一緒に歩くことが出来た。



その後も、たまに
治ったはずの 足首が

ビリッ となったり
カクッ となったり 

違和感が あったりして、

不安になり
病院に もう一度行ったところ

「 足根洞症候群 」(そっこんどうしょうこうぐん)

というもの、だと先生は言っていた。




" 足根洞症候群 "

今でも この言葉を 覚えている。
きっと 私は 一生忘れないだろう。

遠ざかる友達の姿と、
痛みで 動けない 私の悲しさ と共に。


そう、あの 光景と 共に。

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