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転機 。


母の 叫ぶ声が 聴こえる。

これは 空耳か。いつかの記憶なのか。

私には どうすることも 出来ない。




母は 冗談が 通じない人だった。
ある意味 真っ直ぐで、
言葉どおり 受け取ってしまう。

それにより 機嫌が 悪くなることもあった。


そんな母のもとで育った私は 
最初 、
冗談 と言うものが 分からなかった。
何と 返したらいいのか。
言葉の 裏にある 別の意味。


父は 冗談のかたまりみたいな人だった。
それによって 皆を 笑わせるのが 好きなのだ。


片親で育った私は、
はじめて 父親という存在を 知ったとき
どう接していいのか 分からなかった。

話し方も。甘えかたも。

父には 新しい家族もいて、
その子達が 甘えているのを 羨ましく思った。

競争するように 父を取り合ったりも
したけれど、
帰りは やっぱり 私のもとから いなくなる。


そういえば、小さい頃 
毎年 部屋に あった おもちゃの箱。

いつの間にか 増えていた おもちゃの家。

あれは 父が 私たちに
買っていたのだ。

いつしか  気付いていたが。

たぶん、それは クリスマスの時期。
サンタからの つもりで。



少し 大人になって 
父が いう 冗談というものが
わかってきた頃、 

父と 会う日、
母と 父は 毎回 、最後は言い争いになっていた。楽しかった時間が、後味悪く終る。

後から、父にも 母にも 謝られた。
2人は 本当に 合わないらしい。


母も 父も 頑固だ。
がちごちに凝り固まった 考え方。

悪いことじゃない。他人の意見も聞くが、
どこかに 自分のひとつ通った筋があって
柔軟に なれない時がある。

その間の 私も 頑固だろう。

でも、いつしか 
そんな私の心を 溶かしてくれる人が
現れるのだと、想っていた。

そんな人 本当にいるのかとも 思っていた。

もしいるなら、私が何か 
変わるかもしれない。
とも期待した。

私 を変えてくれる人 。


半信半疑で 生きてきて、
色んな人にも出逢った。

でも、私は 私。この人は この人。
あくまで この人の意見 考え方。
それに 私がどう思ったか。それに 
共感するかしないか、それを受け入れるか 受け入れないか 決めるのは 私。

といった スタンス だった。



それが、変わった。

人の考えというものを、人を
まるごと 理解出来るような。
凝り固まった心が 

本当に溶けたようだ。


本当に 現れた。


それはそれは 大きな 衝撃だった。


私の 人生の中で、大きな転機になるに
違いない。きっと、何かが 変わる。

私は 何かが変わったのだ。

と感じた。

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