見出し画像

#189 フードコートで地獄を見た話

「他の子の、3倍はありますね。」


1歳を過ぎた長女を迎えに行くと保育園の先生が苦笑いしながら教えてくれた。○○ちゃんは元気で、可愛くて・・・という常套句が絞り出せないほど疲弊している。朝預けた時は20代の快活な先生だったが、迎えに行ったら10歳は老けていた。

「すんません。。」私は心の中で謝罪し、そしてとても貴重なエビデンスを受け取った気がし、「先生。そうでしょうそうでしょう。」と大谷翔平バリの確信歩きをしながら保育園を後にするのだが、正直とても落ち込んだ。

うちの子は”超”泣き虫だった。

「あらあら子供なんてみんな泣くものよ」と世のママさんは言うかもしれない。しかしうちの子は何と言うかレベルが違って、その最たる特徴がその泣き声の大きさであった。

それが通算何百人は見てきたであろう保育士さんにして「他の子の3倍はある」とカミングアウトさせてしまうのだから間違いない。
加えて持久力もあり、MISIAもびっくりの腹式呼吸でゆうに1時間は泣き続けた。「Everything」ならぬ「Everytime」であった。眠くなると泣き、布団に置くと泣き、しまいには箸が転がっただけで泣いた。柴田理恵より泣いた。


外に出れば多くの家族に注目され、窓を開ければ虐待の噂が広がりそうだった。
たまに街中でベビーカーがあるのに子供を抱っこしている非効率な家族を見かけるかもしれないが我が家がまさにそれだった。とにかく乗せると泣きながら暴れる。ここが漁港なら「あら、活きの良いマグロをお持ちですね」とでも言ってもらえそうなのだが残念ながら魚は運んでいない。


よく子育て雑誌などに、成長に合わせて「○○期」という記載があったがうちの子は一貫して「オザ期」であった。
とにかく大人たちに縛られることを嫌がり、自由になりたいようだった。ベビーカーは嫌がるが、盗んだバイクだったら走り出すかもしれないという期待すらした。


私たちは次第に外出できなくなっていった。
休日になるとお菓子を大量に買い込んで家でひっそりと過ごす。まるで逃亡犯のように息を潜めながら、保育園の先生からもし「お宅の子は大変なので追加料金を頂きたいのですがいいですか?」と問われたら素直に払おう、などと妻と話していた。

SNSはまだ無かったが、子育てブログなるものを書いている人がいると知り、世の中にはそんな優雅な子育てが存在するのかと夫婦で驚愕した。

「今ベビーちゃんがすやすや眠っているのでこのブログを書いています♪」みたいな文章を発見してしまったら、当時の自分達の怨念なら電話線を伝って投稿者のパソコンなど簡単に爆破できただろう。本当にtwitterなど気軽なSNSが無くて良かった。


そんな生活が1年以上続いた。さすがの私たちも逃亡犯生活に飽きてしまっていた。
現実を変えたいと思うと、人は楽観的な算段をしがちだ。これが地獄の入り口だった。

私たち夫婦には、娘の泣く時間が少しずつ減っているように見えた。そして生意気にも外食を企てたのだった。


外食と言ってもレストランなどは到底無理なのでガヤガヤとうるさいフードコートで作戦を決行することにした。
朝から娘に媚びへつらい、ご機嫌を損ねぬよう最善を尽くした。フードコートでは何を食べさせるかを事前に調査し、腹が減ったり嫌いなものがあったりして暴れ出さぬよう準備万端にすすめた。


そして、

私たちはフードコートに無事着いた。
まるで新大陸を発見したコロンブスのように、目の前に広がる新世界は煌々としていた。知っているチェーン店が立ち並ぶのだが、丸亀製麺が丸亀”聖”麺に見えた。奇跡の瞬間であった。

すかさず席を確保し、妻と娘はあらかじめ決めていたうどん屋へ向かった。そこにはおむすびもある。娘はうどんが熱いだけで全盛期のYOSHIKIバリに暴れるのだが、冷ましている間におむすびを食べさせておけばいい。これも事前に取り決めていた作戦だった。

二人は無事に買って戻って来た。おぉ!ここまで順調だ。
席を確保して待っていた私は入れ替わるように自分の分を買いに出た。お恥ずかしくもウキウキし、ある程度決めていたにもかかわらず、さて何を食べようかと目移りした。


娘の調子がすこぶる良さそうだったので、私は調子に乗ってラーメンを頼むことにした。子育て世代にはあるあるだと思うが、早く食べないと延びてしまう熱いラーメンは幼い子供と食べるには最も適さない部類だ。しかし、
今日は行ける気がした。これをクリアして新しいステージに行かなくてはいけなかった。
私は使命感でラーメンを頼み、そして店の前で受け取りを待った。その時だった。

「うぎゃー------!!」


ざわついたフードコートにおいても、聞き覚えあるその叫びはハッキリと聞こえた。相変わらずの音量だった。

私は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐え、無邪気に湯気を出しているラーメンを忌々しく受け取って席に向かった。
近くまで来るとすでにたくさんの視線が一つのテーブルに集まっていた。視線の中心にいるのは妻と娘。妻は棒状になった娘を丸太を抱くように両手でかかえ、かかえられた娘は活きのいい魚のように妻の両腕の中で暴れていた。

私は遠巻きにそれを見ながら、子供の頃に地元静岡で見たハトヤのCMを思い出していた。
「伊東に行くならハ・ト・ヤー♪ 電話はよ・いーふ・ろ♪」

静岡ではお馴染みのハトヤ。あのCMの最後に、ピチピチと跳ねるデカい魚を少年が両腕でかかえるように持たされ、苦戦している一コマがある。
今自分が見ている光景はまさにそのシーンであった。

席まで戻ると妻の髪の毛に大量のご飯粒が付いていた。彼女の視点は既に定まっておらず、そして「外界のおむすびは緩い・・。」とつぶやいた。
お店のおむすびはサービス精神旺盛で自宅のそれよりかなりふわっと結んであった。そして娘が食べようとした瞬間崩れ落ち、気付いたらマグロを抱えていた、という事だった。

妻はまるで新大陸で疫病にやられてしまったかの如くぐったりとしていた。もう彼女はダメだ。私はすぐさま娘を抱きかかえ、とにかくこの爆音を外に連れ出さなくては、とフードコートを飛び出した。ショッピングモールの人から見れば誘拐の最中に見えたかもしれない。

皆さん聞いてください!誘拐ではありません!おむすびが緩かったんです!と訴えたところで誰が信じてくれようか。
「伊東に行くならハ・ト・ヤー」「伊東に行くならハ・ト・ヤー」私の頭の中では海底温泉がループし、あのCMの男の子元気かな。もうオジサンだよな。などと現実逃避をはじめていた。


30分ほどしてフードコートに戻った。妻は髪の毛に付いたご飯粒を全て取り除き、気を取り直していたのは良かったのだが、私のラーメンは2倍ぐらいに麺が増えていた。

もうフードコートでラーメンは頼まない。あとおむすびはもう少しきつく握って欲しい。あと、ハトヤって今もあるのかな?

後日 妻にyoutubeでそのCMを見せたのだが1mmも笑っていなかったのでやっぱりあの男の子も大変だったんだなと確信した。




完。
全ての子育てに幸あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?