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【真実】【決意】8割方はふざけて行きたい

突然だが、私はふざけたい。

どのくらいふざけたいかというとタイトルにもある通り8割方はふざけたい。そのくらいの方が良いのだと思う。世の中も、周囲も、そして何より私自身も真面目過ぎるのだ。全くもって堅苦しいじゃないか。


■Twitterの私

どうでもいいと思うけどTwitterの私はサッカーのことしかつぶやかない。政治のことも経済のこともつぶやかない。岸田さんが総理大臣になった日も私はJ2リーグの首位攻防についてのみ考えていた。

そして、

毎日毎日サッカーのことをつぶやいていても試合結果によって嬉しいと悔しいにしかならないから、だんだんとふざけるようになった。

匿名の良いところだ。私が「ぴろぴろーん」とつぶやいたところで会社にも家庭にも迷惑は掛からない。万が一、「それが貴様の本性か!」とマウントをとってくる輩がいるとすればそれに対する私の返信は既に決まっている。「ぴろぴろーん」だ。


興味深いことがあった。Twitterでふざけ始めると徐々にフォロアーが増えてきたのだ。もともとフォロアー増が目的でもなかったので積極的にそういう活動をしてきたわけではないがそれにしても嬉しかった。

フォロー数よりフォロアー数の方が多い人には秘かに憧れていたがちょっとだけそういう感じになった。つまり”見る専”の皆さんに選ばれたのだ。これは素直に嬉しかった。自分のおふざけが皆さんの人生の数秒いただくことを許されたという訳だ。


■現実社会でふざける

私はどちらかというと几帳面な方だと思う。こうと決めたらこう!みたいなのは手前味噌ながら割と意思堅く実行する方だし、そうやって多少なりともありがたい経験もしてきた。

だけど思う。

愉しくないのである。特にこのnoteには自分自身の人生のメモ帳と銘打って思ったことをつらつらと書くのだが後で読み返して「コイツなかなか良いこと言ってるじゃないか」と自画自賛する割合より、「かてーなおい」と泣きながら突っ込む方が圧倒的に多いのである。

セラミックかよ。という突っ込みならまだいい。ピッカピカでかっこいいから。なぜこんなところに?と不思議に思う一昨日の米粒のように固い。情けないし味もしない。光沢などとは程遠くカッピカピなのである。


思えば会社でもそうなのかもしれない。私はポップでキャッチーでウィットに富んだ会話を意識しつつも業務においてはピリッとすべきだと考えていた。

でもそうじゃないかもしれない。チームビルドというのは脆い。思っている以上に脆い。てことは思っている以上に遊びが無いとそれはすぐに故障してしまう。

果たしてどのぐらいの遊びが必要なのか。それは平成女子高生のルーズソックスのような、と言ってしまえばセクハラですぐに訴えられてしまうので数字で表すしかなかった。8割である。


それはもはや遊びでは無いかもしれない。大半だ。こうなると信頼されないかもしれないという不安が頭をよぎる。でもきっと大丈夫だ。ふざけることとテキトーとは違う。実に計算尽くされた緻密で繊細な感じでふざけるのだ。あくまでも感じだ。実際に計算してはいけない。醸し出す雰囲気までふざけるのだ。そう自分に言い聞かせる。


Twitterでの経験がその他のフィールドで活きるかは未知数だ。でもそんなのは関係ない。私がふざけたところで絶対に世界は滅亡しない。私が政治のことなんかツイートしなくても、noteにて持論をぶちまけなくても、総理大臣はやはり変わるのだから。




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!


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