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【迫真エッセイ】ノスタルジック東京とじいさんの一撃

私は18で静岡を出て、上京した。

親の勧めもあって私の一人暮らしデビューは生意気にも新宿区であった。刺激の宝庫TOKYOで遠州弁を隠してイケてる男を演じつつ、家に帰れば狭いアパートで人知れず熱いお茶を飲んだりした。

ある日我が家を訪れた埼玉の男に「お前んち何にもねぇのに立派な急須あんの何で?」と言われ、それが普通ではないことを知った。「え、普通だら?」などと平然を装いつつ狭山茶にマウントを取られた事を恥じた。

そんな刺激的な毎日(?)を送っていたTOKYO生活だったが敬老の日、つまり「老人を敬う日」と聞くといつも決まって思い出す風景がそこにあったりする。


東京・新宿と言えば問答無用のコンクリートジャングルを想像していたのだが実はそんなことは無い。
意外なことに大通りを一本裏に入れば実にノスタルジックな古い家屋が立ち並んでいたりする。そしてそこにはおじいちゃんもおばあちゃんもいる。


ある日 私は深夜のバイトを終えて家の近くまで来ていた。夏の朝5時半だ。日中の喧騒はどこへやら、新宿区とはいえこの時間の朝はまだまだ静かだった。駅から狭い裏路地に入りアパートを目指していたところでじいさんに遭遇した。

波平のような着物を着て歩いている。こんな風情はアニメの世界だと思っていたが実際に東京の真ん中に着物姿のじいさんは存在する。胸元が豪快にはだけているがここは彼の庭(新宿)だ。私の様な他所のものは見過ごす他はない。ただそんなじいさんを強烈に記憶しているのには理由があった。
遅いのだ。歩くのが。

じいさんは杖をつきながら小刻みに震えており10分で1m進めるかどうかの速度で歩いている。いや、歩いてるというより雪駄の裏で地球をこすっている。”だるまさんが転んだ”をすれば小さい子供相手なら勝てそうなほどの微動だ。ただ鬼にたどり着くまでに1時間はかかりそうだが。

横から突けば倒れてしまいそうな不安定さはあるものの、逆に言えばそれは絶妙な重心バランスを保っていて、じいさんを今そっくりそのままスラックラインの上に乗せれば渡り切ってしてしまいそうなほど完成度は高かった。

とはいえ、
道は登り坂に差し掛かっている。このままでは本当に後ろに倒れてしまいそうだ。そこで私はじいさんに手を貸そうと決意した。
バイト上がりの清々しさもあったかもしれない、あるいは都会の喧騒から一瞬でも抜け出してハートフルな感情に浸りたかったのかもしれない。

意を決してじいさんの方に向かおうとした時、爆音が鳴り響いた。

何事かと虚を突かれた私はしばらく呆然としたがすぐにその正体を把握した。朝の静寂を切り裂くそれ(爆音)はじいさんの放屁だったのだ。
私はその時、確かにこんな声を聞いた。

「若者よ。私は大丈夫じゃ。手助けは不要!!」


放屁からメッセージを受け取ったのは後にも先にもこの時しかなかった。
そしてその爆音は神々しいほどの説得力で私の青臭い親切心を柔らかく包み込んだ。Zeebraも般若も、R-指定だってこんなに熱いパンチラインは生み出せまい。
私は目の奥に熱いものを感じた。風上からやってくるじいさんの強烈なメッセージ(異臭)が涙腺を刺激して泣いていたに違いない。泣いて自分自身を悔いたのだ。

そう。東京の大空襲を生き抜いてきたじいさんに田舎から来た若造の助けなどいるものか。ご老人に対して「大丈夫ですか」「お大事にしてくださいね」などというのは若い連中の自己満足なのであってそれは上から目線になってしまったら敬意とは言い難い。私はとんでもない勘違いをしていた。

姉の子供が産まれた時「あーあー」というだけで立って歩くこともできないくせに大人顔負けの放屁をかましてきてビックリしたことがある。
人間というのは無力で生まれ、そしてまた無力に戻っていく。しかし体内に溜まったガスを一気に解放するそれは体のロジックそのもので、どんなに見た目が無力であろうが確かにひとりの人間がそこにいる証なのだ。

と、
そこまで一気に猛省したところでもう一度じいさんを見たが、まだ3cmぐらいしか進んでいなかった。


敬老の日になるといつだってあの光景を思い出す。
少しずつ肌寒くなった朝に熱いお茶を啜りながら、”老人を敬うとは無闇に案じるのではなく、生きてきた証を尊重する事なのだ”と心の中で反芻する。


当然田舎にもじいさんやばあさんはいる。
しかし、
見渡す限り舗装された道と背の高い建物が連なるTOKYOにおいてその存在はより一層印象深い。日本中の夢と欲望が絡まり、喧騒の止まない街にも静かな朝はある。そしてそこには、変わらず人が生きている。





#上京のはなし  に寄せて







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