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【ビジネス考察】あなたの職場は学芸会かプロの劇団か

先日GLOBIZを視聴していてありそうでなかった論調を見かけたのでそのことについて。

ハッとされられました。


■買ってでもした苦労

「経験」というのは何物にも代えがたい尊いもの。人が成長するうえでなくてはならないもの。

昔 仕事をしていて大ピンチにも拘らず上司がケロッとしていてこの人は不感症か、と思ったことがあるけどそれは他でもない。経験に依存しているからだった。

一度その修羅場をくぐったことのある上司にとっては「またアレか」ぐらいに見えるわけで、初体験のこっちと違って冷静に対応できるわけです。上司の価値とは修羅場をくぐった数に比例する。そう信じて疑わなかった僕は20代の苦労を買ってでもしていたわけです。

しかし、

最近はビジネススピードがものすごく速く(僕が若手の頃も速くなった!と言われてましたけど更に・・・)失敗している場合じゃない、というのがより濃くなっているのも事実。

四の五の言わずにやってみれば?と思う反面、そりゃやりたくないよね。と同情するのも半分。今は失敗を恐れずやってみなさい、というのが難しくなっている。


■どうやらそうじゃない

このことを時代のせいだと思っていたらどうやらそうではないらしい。これは苦労を”与える方”にポイントがあるようだ。

「苦労するだろうけど彼にやらせてみよう」とチャレンジングな仕事(配役)を与えた場合、
失敗して打ち上げの場で「上手くいかなかったけど良い経験になったよね」と言って肩を組みながら酒を飲むのが学芸会。

「苦労するだろうけど、彼ならこのようにして乗り越えるだろう」と理屈を添えてチャレンジングな仕事(配役)を与え、
そのロジックを見守りながら一段高いレベルの経験を与えるのがプロの劇団。

なるほど。


買ってでもするべき経験。それは売る方にもテクニックがあるわけだ。
これには時代や環境の背景は関係ない。また、上司(先輩)の価値が修羅場をくぐった数に比例する、という僕の仮説も成立する。

どうやらこれが「無謀」と「チャレンジ」の境界線の正体かもしれない。

乗り越えるために添える「理屈」とは具体的に何だろうか。
性格?技量?器量? 

いずれにせよチャレンジを課す側は圧倒的にプロフェッショナルでなくてはならない。

さもなくばそれは無謀になってしまうから。




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!


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