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【ビジネス考察】上手くいくと困ること

自分は”五月蠅い”んじゃないかと思っているおじさんが今日も自己嫌悪に陥っている。
私の仕事はもっぱらそのおじさん(つまり先ほどまで一緒の会議室にいた初老の男)を慰めることかもしれない。先に断っておくがこのおじさんの人望は厚い。いわゆる老害ではない。

おじさん故に経験値が高く、経験値が高い故に誰よりも危機察知能力が高い。なので社内で議論している最中、どうしても発言する機会が多くなってしまう。それも否定的な意見が多くなる。

おじさんは自分の中で戦う。これは正すべきだという正義感と、あまり言い過ぎると嫌なやつになってしまう自衛本能の狭間で。

で、

結局正義感が勝つ。意見を述べる。精一杯オブラートに包んで優しく諭す。包み過ぎて伝わったかどうかわからなくなる場合もある。そして、そのあと独りで自己嫌悪に陥っている。


■痛い目に合わなきゃ気付かない

例えば人のものを盗んだら牢屋に入れられてしまう。この場合は実際に牢屋に入れられなくても「きっと惨めな目に合うんだろうな」と想像がつく。

この場合はまだいい。

ヤバいのは私生活や仕事の中で、誰かの助言によって実はギリギリ助けられてかすり傷一つ無くて済んでいるのにその背景というか事実に全く気付かないことだ。

なぜなら惨めな目に遭っていないから。そんな人がぽつりと言う。「おじさん今日も良くしゃべるな(笑)」

実はこういう場合はすごく多いのではないかと思う。自分も含めて、全くありがたい状態であることに気付けていない。

特に仕事の場合は多い。プロジェクトとは新規性が高いため「コレ」といった教科書がない。どんなにマニュアル化しても、どうしても手探りの個所が存在する。それでも上手くいったときは、誰かの助言であったり、気の利いた進言で何とか救われている場合が多い。
文字にするとリスキーだけど、たぶんそんなもんだ。

でも、誰も気づかない。「あの時、あの人のあの指示のおかげで上手くいってますよね!」と振り返ることは無い。なぜなら上手くいっているから。


危機察知能力は管理職としての重要要件であるはず。先回りしてリスクヘッジすることは必要条件だと思う。

だが、

それに長けているだけが良い管理職の条件なのだろうか。伝え方を間違えるとチームの雰囲気を悪くする。間違えれば経験になったであろうきっかけを摘むことになる

ちなみに、「自由にやってみなさい。あとは私に任せておけばいい」なんてセリフは新入社員には通用するが普段のミッションにおいては1年に1回出るかどうかではないだろうか。どの管理職もギリギリでやっている。


失敗しにくくなっている。経験ある人が、今日も振り返って感謝されることなく自己嫌悪に陥っている。

 

 

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!



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