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【エッセイ】「おっぴさん」の通夜と、特上寿司

父方の「おっぴさん」が死んだのは、今から30年ほど前の、5月のことだった。
亡くなった知らせを受け、おっぴさんが住む、宮城県の三陸海岸の半島の先にある漁村に向かった。
行く途中に見たキラキラした海と、柔らかな緑の山々が今でも瞼に焼き付いている。

「おっぴさん」は宮城県の言葉で、標準語に直すと曾祖父母のことをいう。「ひいおじいちゃん」または「ひいおばあちゃん」をちょっと訛らせて、でも「お」をつけて丁寧に言ったような。ほっこりした気分になり、私は好きな方言だ。

うちの「おっぴさん」…正確には曾祖母は、享年92才。当時としては90才代の人は今ほど多くはなく、「大往生だ」と親族や、手伝いにきてくれた近所の人はみな口をそろえた。

実を言うと、私はおっぴさんとの記憶があまりない。私が物心ついた頃には80才代後半と、高齢で寝たり起きたりになっていた。
けど、どっしりとした威厳のある人で、口数は少ないのに、女系家族の家長として一番の存在感を放っていた。幼い私には、近寄りがたい存在でもあった。

「亡くなった」と聞いたとき、初めは実感がわかなかった。徐々に親戚が集まってくる。けれども中心にいたはずのおっぴさんが居ない。どこかさびしさを感じた。

通夜や葬儀は家でやった記憶がある。
和尚さんのお経が終わり、見よう見まねで焼香した。通夜が終わると、「通夜ぶるまい」をするため、祭壇の前に長いテーブルが数台運ばれてきた。

私は台所に呼ばれた。手伝いにきてくれていた近所のおばあさんから「これ、みんなのところに持っていってくれる?」と頼まれた。それは何と、お寿司だった!

お寿司好きな無邪気な子どもだった私は、「お寿司だ!」と胸がときめいた。お寿司を持っていくとすでに男性陣がお酒を飲み始めて、話をしながら盛り上がっていて明るい雰囲気。
席につくと、「特上のお寿司だから、いっぱい食べてね」と祖母に言われた。


ふと、岩手県の農村出身の私の母が「え、魚食べてもいいの?」と驚いた。

そこで鈍感な子どもだった私も、何かがおかしいことに気がついた。
まず人が死んだのになぜ、大人たちは明るく盛り上がっているのか。マンガなんかだと、黒い服を着て涙を流しているではないか…
また、こういう席で、こんなにいっぱい魚を食べても良いのか?

すると、隣にいた親戚のおばさんが言った。近所に住む人だ。「この辺では、あんたのおばあちゃんみたく長生きした人の通夜の時、お寿司を食べて祝うんだよ」と。

なるほど…そういうことだったか…。
悲しい席ではあるが、長生きのお祝いの席でもあるんだ…

「通夜でお寿司を食べる」という風習は、ごく狭い限られた地域のものらしい。大人になってから、隣町出身の人に言ったら「私も初めて聞いたときびっくりした」と言っていた。半島の先にある、小さな漁村で昔から引き継がれているようだ。

けれども、「最高のお寿司を食べて、飲んで故人の思い出を語りながら、長生きを祝う」という風習が、カラッとした明るい、沿岸部の気質を感じる。
「ハマらしくていいな」と思う。