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仕事について考える(4月17日の日記)


仕事の日。

8:15に勤務開始なのだが、
私はいつもギリギリに起きてギリギリに家を出るので
ギリギリに職場に到着する。(当然)

私が身支度にかける時間は、
我ながらめちゃくちゃに短いと思う。

7:30に家を出るとすれば、
7:15に起きれば十分だ。

例えば出発時間はそのまま変えずに
ここで7:00に起きていたとしたら、
優雅にコーヒーを飲む時間すらあるだろう。


とにかく、私は
身支度にかける時間を出来る限り減らして
一秒でも長く寝ていたいのだ。

これはもともと貧血気味なのと低血圧なのもあって
とにかく朝が弱いのが大きな要因。

そのくせ、夜中に適当に本をめくってみたり
当てもなくスマホをかまってみたりと
日々夜更かしをしているおかげで、
余計に朝が辛いのだ。

じゃあやめろ、という話なのだが
それができていれば苦労はしていない。

本は疲れている時ほど読みたい気分になるし、
仕事で必要な知識も眠い時ほど調べたくなる。
そして、今日こそ早く寝るぞと
意気込んでいる時に限って、
面白いコンテンツが流れてきたりするものなのだ。

そういえば、この間Xで流れてきた論文が
あまりに面白かったので記録として
ここに載せておこうと思う。

…と思ったがPDFは貼れないので、
気になった方はぜひ検索してみてほしい。↓

この論文、
本当に信じられないくらい面白かった。

これを夢中になって永遠に読んでたら、
結局夜中の2時になってしまったくらい。(寝ろ)

いやでも、これを若者が書いてるんだから
本当にすごいと思う。
著者は当時まだ大学生な上に、男性なのだ。


なんというか失礼だけど、
男なのに、女の気持ちなんか分からないはずなのに、
よくここまで理詰めでしっかり考えられたな
と思って率直に感動してしまった。

聞き取り調査も男性にしか行っていないようだし、
女性側の意見を全く聞かずに
このテーマをここまで考察できるということは、
かなりすごいことなのではないか。


そして、「男側でわからないことは、
わからないままにしておくことから始める」
っていう結論がしっかり出せるということが
一番すごいことだと思った。

それができない人がほとんどだから
性犯罪って減らないんだもんね。

いや〜すごかった。おもしろかった。
素晴らしいよこの人。。


しかも、これが2006年の論文っていうんだから
それにもまたびっくり。

2006年というと私がまだ小学生の頃だ。

女性が社会に出るということすら
まだ珍しかったあの時代に、
よくぞここまで見事に考え抜いたものだ。


あまりに感動したので、夜中のテンションで
このURLを後輩の男の子に送りつけてしまったほど。
頼むから引かないで欲しいんですが。笑

でも彼も私に懲りずにきちんと読んでくれて
なんだか妙に納得してくれたようで、
すごく嬉しくなった。満足。
(これはどういう種類の欲求なんだろう?笑)

とまあそんな感じで、
朝がとにかく弱いのにいつもこういうのを
見つけてきては夜更かししているのである。

そりゃあ眠いわけだ。


でも、いざ仕事が始まると
結局そういうモードに切り替わるからなのか
そこまで眠くなくなる私。

朝イチの検査が始まってしまえば、
そこで一気にスイッチが入る。

そこから仕事が終わるまでは、
完全に仕事モードだ。


この方の検査をどうスムーズに終わらせようか、
どうやって苦痛を減らしてあげられるかということを
まずどうしても考えてしまうし、
どのように回せば一番残業が減るのかということも
同時に考えなければならない。(ここ重要)

診断に必要な画像が撮れているかどうかは
こちらの技量にかかっているので、
責任は重くのしかかる。

その時点で、昨日夜更かししたことや
朝のけだるい眠気はきっと吹っ飛んでいるのだ。


こういうふうに、
毎日責任のある仕事をするということは
学生だった頃の私にはとてもじゃないけど
想像できなかったなあ。

自分が楽しいと思うことだけをしながら
自堕落な生活をしていたあの頃の私には、
社会に出て朝から人のために働くなんて
絶対に自分にはできない、と思っていた。

が、やってみると案外
そんなこともないものだなあ、と思う。

というか、
社会に出て責任の伴う仕事をして初めて、
自分がいかに誰かの仕事によって
生かされていたのかってことを
身を持って実感したというのが大きい気がする。

たとえば、
私が誰かに会うために電車やバスに乗るとき。
ごはんを作るのに野菜や果物を買うとき。
役所で必要な書類を申請するとき。
誰かへの贈り物を郵送するとき。
旅館で素敵なお部屋に泊まるとき。

こういうとき、
結局そこには誰かの仕事が伴っている。
誰かがそこで働いていてくれなければ、
私は何をすることも、
何を楽しむこともできないのだ。

これは、自分が責任の伴う仕事をするまでは
実感していなかったこと。
頭では分かってはいるものの、というやつだ。

そもそも道路や線路を作ってくれる方や
新幹線を運転してくれる方がいなければ
私はどこにも行けないし、

体が痛いときや病気になった時に
治してくれる方がいなければ
私はこんなに自由を謳歌できない。

ゴミを回収してくれたり
掃除をしてくれたりする方がいなければ、
日々気持ちよく生活することはできないだろう。


私が普段患者さんとして接しているのはみんな、
こんなふうに私がなにかを必要としているときに
必要なことを仕事として与えてくれた方々なのだ。

どんな仕事でも、
「こんな仕事なら誰にでも出来る」
とバカにしたり下に見たりするのではなく、
この人がいなければ文字通り
私は生きていけないんだ、
と実感しながら生きていきたいのだ。

そのためには、
自分も少なからず社会の誰かに
貢献していなければならないと思う。

世の中は誰かの仕事で成り立っているというのは
考えてみれば当然のことなんだけれど、

こういうことを改めて考えると、
学生の頃のようにいつまでも
自分の好きなことばかりして生きるのではなく、
自分も少しでも誰かの役に立たなければ、
誰かの役に立ちたい、と自然と思うようになる。


この感情こそ、
仕事へのモチベーションとなるのだろう。

仕事で誰かに貢献することでようやく、
自分も社会の歯車の一員であることを
実感できるというかね。

自分は社会に貢献せず(できず)、
誰かの仕事の恩恵を受けているだけというのも
それはそれで辛いのだろうと思う。

誰かに何かをしてもらった分、
自分も誰かに何かを返す。

社会で生きるとは、そういうことの連続だ。


そしてきっと、この「社会へ参入している感」
「誰かに貢献している感」というものが
誰しもにとって重要だと思うのだ。

なんかこれ、嫌われる勇気という本にも
書いてあったような気がするけれど。

でも結局ここなのだ、と私も思う。


だって、自分だけは誰かの仕事のおかげで
何不自由なく暮らせているのに、
それを社会の誰かに対して
何も還元できていない気がする、
と気付いてしまう瞬間があったとしたら、
それってかなり辛いだろう。

側から見れば仕方ないと思う場合もあるけれど、
本人にとっては絶対に辛いと思う。

だから、例えばだけど専業主婦の方とかって
仕事の内容としては簡単だったとしても
実は心は辛いんじゃないかな。
(いや仕事内容も絶対に簡単ではないが)

あと、怪我や病気で
働きたくても働けない方とかもそう。

社会との繋がりが希薄で、
貢献感を実感できない、という意味で。

だから私は、自分が健康で元気なうちは
この感覚(件の嫌われる勇気では
共同体感覚っていう言葉を使っていた気がする)
が得られる仕事に就いていたいと思うし、

逆に言えばこの感覚が得られない場合に
人は心を病んでしまったり、
塞ぎ込んでしまったりするのだろうと思う。


と、ここまで書いて、
えーっと何の話だっけ?となっている私。

日記というか、
今日考えていたことの話になってしまった。笑

まあそれはそれでいいか。
こういう日記も楽しい。

こういうのこそ、
あとで読み返すと面白い気がする。笑


あー、そんでまた今日も夜更かししちゃったなあ。

早く寝よう。明日も頑張って働きます!


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