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長男のお友達トラブルで思ったこと

小学四年生の長男、先月ちょっと学校を休むことが増えていました。

noteでも、お友達トラブルについて書かれてたものを見かけたりしていて、「みなさん同じなんだな…。」と感じていました。


うちの長男は、幼稚園を半年くらいお休みしていたことがあります。
転園をした関係で、今までいた園がとても合っていたのもあり行き渋るようになったのです。
当時は次男も赤ちゃんだし、私は寄り添ってやりたいけれど、しんどいから、行ってくれーという気持ちでいっぱいでした。

市のボランティアさんに来ていただいて遊んでもらったりとか、お悩み電話相談したりなんかして、なんとかしのいでいたような気がします。


しかし、小学生になると楽しく通っていましたし、休むことも少なくなりました。
時々、思いがけず「休む!」と言って休むけれど、幼稚園のことを思うと、朝起きて学校に行くだけで、私は十分だなと感じていました。
先生との面談で、勉強のことを言われても「そもそも休まず学校に行ってるのすごいよなぁ。」って心の中では思っていました。

学級懇談会に行くと、他のお母さまの子どもに対する熱い思いや、向き合い方を聞いて「すごいなぁ!!」と感じることが多かったです。
やはり、みなさん学校へ行けることは当然で、そこから先の勉強についてのことや、運動能力を高めようと考えられている印象でした。
それでも、うちのペースでいこうと思っていました。



けれども、振り返ってみると最近は休む事が増えていました。
先生からのお電話を受けて、気づくと必ず週に一回は休んでいました。

うちの子は、朝起きてきて「今日は休みたい。」と言ってきます。
私は「あ、そうなの?休みたいの?なんでなの?」と聞きます。

その時の理由がなんであれ、本人の「休みたい。」という感情はきちんと受け止めてあげるようにしています。
(できなくて、はぁ!?とか言う日もあるけど)
そして、休めるときは休ませるし、用事がある時などの「今日は行ってほしいなー。」という私の気持ちもキチンと伝えるようにしています。

そうすると、大体行くかーとなります。


私は「感情」と「行為」は別である、という考え方を知ってから、それを大切にしようと思っています。

感情は「学校を休みたい。」という気持ち。
行為は、学校を休むこと。


人はついつい、行為に注目しがちです。

休まずに学校に行っている。
テストで100点をとった。
絵で賞をとった。
マラソン大会で1番だった。

どれもすごいねと言われるものです。
でも、その行為が大切なんじゃなくて、そのことから受け取る感情が大切なんだと思います。

休まずに学校に行っている。→頑張った!
テストで100点をとった。→嬉しい!
絵で賞をとった。→最高!
マラソン大会で1番だった。→気持ちいい!


そのことから受け取る感情を、大切にしていたら、人は満たされると思うのです。
言い換えると、その行為じゃなくても同じ感情を感じることはできるのです。

話しを戻しますが、長男が幼稚園時代に休みたいと言ったから休ませていました。
そのこと=行為だけを見たら、子どもの気持ちを尊重する親に見えるかもしれません。
でも、私は長男の「幼稚園に行きたくない。」という感情を受け入れてはいませんでした。


「どうして行かないの?」
「幼稚園の先生やお友達に問題があるんじゃないか?」
「長男本人に何か問題があるんじゃないか?」
「このままずっと園に行けないの?」
「小学校もこんなんじゃ不安だよ。」
「無理にでも行かせた方がいいんじゃないか?」
「でも、本人の希望を聞いたほうがいい。」


そんな風にいっぱい考えていました。
どこかで、ふつうはみんな通えるもの。行かない方がおかしい。
そう思っていました。

だから表面上は理解ある親のふりして、心の中では「幼稚園に行ってほしい。」そう思っていました。

ここでは、感情は「幼稚園を休みたい。」
行為は、幼稚園をやすむこと。

つまり、彼の感情を受け入れていなかったから、幼稚園を休ませても、長男の心は全然休まっていなかったのでした。
きっと、本人からしたら「休ませてはくれてるけど、ぼくのいきたくないきもちをわかってくれない。」と思っていたのではないかと思います。


今では「学校を休みたい。」という気持ちは受け止めるけど、別にそこで休ませなくてもいいと思っています。
(もちろん重大な理由があるなら別ですが)
私は専業主婦なので、まあ休ませてもいいかと思うのですが、働いていた時はそんなこと言われたらたまらないなーと思います。
でも、その感情を否定されなかったということが大事かなと思っています。

私は、学校に行くことは集団生活を知ることで大切だと思うけど、行くことがいいことで休むことが悪いことだとは思いません。
そして、休ませてあげる親がいい親で、無理やり行かせる親が悪い親だとも思いません。
長い目で見たときに、そんな簡単に決められるものではないと思うからです。


でも、ひとつ信じているのは、親がどうであれ子どもたちはきっと大丈夫だということです。

親だから子どもの将来を思って、いい道を提示してあげたくなるんだけど、きっとどんな形でも大丈夫って思うんです。
本人が望むものを与えてあげれたら、きっと素敵に育ってくれる。
もし、本人が望まないものを与えていても、きっと反面教師にしてくれる。

それは、楽観的すぎるかもしれないけど、私はそう思っています。
結局は、今できることしかできないし、未来はどうなるのかわからない。
だからって、じゃあ虐待も肯定的にとらえているかというと、そうではありません。


長男のお友達トラブルは、小さいものでした。
たぶん、生きていたら誰もが遭遇する「この人ちょっと合わないな。」ということです。
大人だったらスルーできるけれど、子どもたちの場合は複雑です。
必ず同じメンバーで下校しなければいけなかったり、みんな仲良くと言われるからです。

はじめてのことだけど、こうやって一個一個経験していくんだなあって思います。

私も小学四年生の時に友達トラブルにあったことがあるので、すごく長男に共感しました。
私は親に話したりできなかったので、長男が私に話してくれたことが、正直とても嬉しかったです。
「話してくれて、ありがとうね。」


これからも色々あるだろうけれど、頑張りすぎずにいきたいなあ。



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