一周まわって自己肯定感という言葉が嫌いになったあなたへ
自己肯定感を高める。
そんな言葉をここ数年よく聞くようになりました。
わたしも、自分に自信がなくなり、自分のことを価値のない人間だと感じた時期がありました。
いろんな情報を集め、こんがらがっていた時期もありますが、今は落ち着いています。
私なりにとてもしっくりきたたとえ話があるので紹介します。
自分がダメだと思ってしまう。
他人と比べて落ち込んでしまう。
自分に価値がないと思ってしまう。
そんな風に思ってしまう時、こういう考え方もあるよーと、声をかけるつもりで書きました。
私は専門家ではありませんが、落ち込む人の気持ちがすごくわかるし、そこから価値観を変えていくのは大変だとわかっています。
少しでも参考になればと思います。
5000字を超えてしまったので、目次から興味を持たれたものがあれば飛んでくださいね。
自己肯定感は建物で、自己受容は土地である
自己肯定感とは、自分を肯定するという意味です。
しかし、その前段階として自己受容というものがあります。
自己受容とは、土地である。
=もともと自分が持っているもの。
=容姿、気質、生まれた家などです。
一方の自己肯定は、建てものである。
=あとから備えたもの
=学歴、仕事、資格、結果などです。
自己肯定感を高めようというのは、自分のした事などを肯定的に捉えましょうというものです。
できることや、できなくても努力などを認める力です。
自己受容は、生まれて存在している。何を成していなくても、そのことに価値があると知っている状態です。
持って生まれたもののいい所、悪い所を受け入れているということです。
自己肯定感を高めようとして上手くいかない時は、自分の存在を否定していることが多いと思います。
「私なんか。」って心の中で思っているのに、自分のした仕事や行動に自信を持とうというのは無理があります。
反対に、自己受容が出来ている状態だと「できなかったこと」と「自分の価値」をわけて考えられています。
失敗しても、自分がダメなわけではなく、ただの失敗として受け止められます。そして、次はこうしようという風に考えられるのです。
それが周囲から見ると前向きだったり、ポジティブに見えているのです。
また、私なんかとは思わないけれど、自分の生み出した作品には価値がないと思ってしまう方もいると思います。
少し複雑ですが、自分の何をどう思っているのかを冷静に考える必要があります。
私自身をどう思っているか。
私自身が生み出すものをどう思っているか。
自己肯定感を高めても、自己受容が出来ていなければ意味がない
私たちは時に自分を高めようと、資格を取得したり、転職したりします。
しかし、前提が「すごい人にならなければ価値がない」と思っていると、あまり効果がありません。
そのままではだめだと思っている土地に、いくら立派な建物を建てても、かたむいたり、大きさがあっていなかったりと問題が出てきます。
たとえるなら、沼地に鉄筋コンクリートのビルを建てるような感じでしょうか?
「こんな汚い沼地は嫌だ!こんなんじゃ価値がない。立派に見えるように大きな建物を建てるぞ!」
「こんな私じゃダメだ!このままじゃ価値がない。素敵に見えるように、みんながうらやむような仕事につかないと。」
自分の土地を受け入れて、そのうえで、建てる建物を選ぶなら、高床式のリゾートという選択肢を選ぶことができます。
「私はこういう事ができるなあ。だったら、ああいうことが向いているかも。」
つまり、まずは自分の存在そのものを受け入れてみることから始まります。
受け入れているとは、自分の存在を「気に入っている」とか「好きだな」とか「そのままでいいんだ」と思えている状態です。
どうすれば自分を受け入れられるのか?
そうはいっても、自分の持っている土地がドロドロの沼地だったら、受け入れられませんよね?
誰だって、南向きで、日当たりが良く、広くて、開放感があって、周りにさえぎるものがなく、駅が近くて、しっかりした土質の土地が欲しいものです。
(両親、祖父母みんなが優しくて、博識で、私のすることを全面的に応援してくれて、困ったことがあったら支えてくれて、住んでいるところは程よく都会で田舎のよさも感じられ、金銭的に裕福なお家に生まれた私は、容姿は整っていて、勉強もできてスポーツ万能、社交性もあり、友達もたくさんいて、楽しく毎日を過ごしている)
でも、そんな土地を持っている人は、ほとんどいません。
つまり100点満点の人間はいない。
それでも自分を受け入れることからはじまります。
受け入れられないのは、そんな自分は嫌だと思っているからだし、そんな自分では価値がないと思っているからです。
それと同時に、他人のそういう部分も嫌だと思っているのです。
価値がないと思っていることは、実は自分がそんな風に周りの人を否定しているからなのです。
私は自分が専業主婦だということが嫌でした。
仕事をして何者かにならなければ。
価値ある自分になるために、掃除をしっかりしなければ。
しっかり育児をしなければ。
そうしなければ、専業主婦でいることに価値がない、そう思っていました。
でも、それは、他の専業主婦の方を馬鹿にしていることと同じなのです。
たとえ、自分に自覚がなくても。
そして、そういう状態の時は、自分を責めたり、無理して行動したり。
もしくは、働きながら子育てしている人を否定したり、妬んだりしてしまいます。
自分を責めるか他人を責めるか、そうしないと心のバランスが取れないのです。
自己受容ができている人は、どんな状態の自分でも生きている価値があるし、他人にどうこう言われる筋合いはないことを知っています。
まずは、そういう考えを自分が持っていると気づきます。
そして、それが本当なのか?と疑問を持つことです。
すると、それは真実ではないと気づきます。
そうすると、自分を否定した考え方が徐々に変化していきます。
私のケースでいうと、家のことをしっかりしなければ専業主婦に価値はないという考え方。
それは真実ではありません。
夫の仕事の都合。自分の身体的なこと。子供の有無。性格、能力。
そんなことは何一つ関係ない。
大切なのは、ただ幸せに暮らせるかどうか。
私が夫だったら、仕事をしていようと、子どもがいようといまいと、部屋が汚かろうと、自分の好きになった人が笑っていること以外に重要なことはないと思いました。
子どもの相手を完璧にして、仕事もして、部屋も綺麗だったとしても、毎日疲れ果てて幸せそうに見えなくて、自分にも本音を話してくれないなら、とても悲しいと思う。
今は、夫に感謝し、子供の相手をして自由な時間があることをとても恵まれていて、良い境遇だと思えています。
それを踏まえたうえで、働きたい、自分のしたいこともしたいと思えるようになりました。
それと同時に、他の専業主婦の方も、そのような豊かな気持ちなのだろうし、人にはそれぞれ理由があると思えるようになりました。
他人を肯定できたときに、はじめて自分のことも受け入れられる気がしました。
まずは自分を癒そう
他人を肯定しているとき、同時に自分のことも受け入れています。
でも、他人のことはすごいと思えるのに、自分はダメだと思ってしまう人もいるかもしれません。
例えば、「あの人は何でもできるスーパー主婦だけど、私なんかなにやっても失敗ばかり。同じ主婦でも、私には価値がない。」
自己受容しようとしたときにでてくる思い。
それを自分で認めてあげることが、大切です。
例えば、「私は愛される存在だ。」と感じようとした時。
でも…
「本当はもっと両親から愛が欲しかった。」
「本当はあの時、あのおもちゃを買って欲しかった。」
「本当は、自分の夢を応援してほしかった。」
と、自分が愛されていないと感じるような、過去の悲しかった出来事が出てくるかもしれません。
そういう、過去のことで○○して欲しかったという思いがあると、自己肯定する段階にきていないと言われています。
過去の想いを昇華出来たときに、○○がしたい!ということがでてきて、そして自己実現にむかっていくのではないのかなと思います。
そして、自分を癒せるのは自分自身だけなのです。
誰か、例えばパートナーと出会って幸せになったとしても、自分を癒してくれるのはパートナーではありません。
自分自身なのです。
もし、パートナーが愛してくれたから、自分の価値を感じたとします。
でも、その愛を注がれなくなった時に、途端に自分の価値がなくなってしまいます。
他人からもらうものを基準にするのは、少し危険なのです。
そして、自分は癒されたと決めるのも自分なのです。
ここまでやれば癒されるという基準もありませんし、他人に自分の痛みの大きさは見えません。
「○○してほしかった」その思いを受け止めて「そうだよね。○○してほしかったんだね。」って認めてあげましょう。
自分が癒されたと思うまで、自分を癒せばいいのです。
自分の気持ちがわからない
自分の気持ちがわからないという方は、少し落ち着いてみてほしいです。
私たちの気持ちは、全部自分が思っているようで、そうではないこともあります。
よく言われるインナーチャイルド、インナーペアレント、インナーアダルトについて、私なりの解釈でお話しします。
(専門家ではないので、ふーんくらいで聴いてもらえると嬉しいです)
まず、私たちが生活していてふと思うことはインナーチャイルドの声が多いです。潜在意識と言われたりもしますね。
ただただ純粋な望みです。「つかれたー。やすもー。アイス食べたいー。」などですね。
そういう声のあとに聞こえてくるのがインナーペアレントの声です。
「そんなこと言ってなまけるな!がんばらないとおいていかれるぞ!アイスなんか贅沢言うな!」
というちょっと厳しい声です。
これは幼いころに親に言われたことや他人に言われたことから、自分で作った常識や、こうしなければいけないという固定観念です。
そして、それらの声を聞いて実際に行動を決めるインナーアダルトです。
「じゃあ10分だけ休憩しよう。忘れないようにタイマーをセット。あの椅子のところまで行こう。」
という風に、自分ができる現実的な行動を提案してくれます。
おそらく自分の気持ちがわからないという方は、インナーペアレントと呼ばれる固定観念や世間の目を気にする気持ちが強いので、こうしたいという気持ちを打ち消していることが多いと思います。
なので、何かを思ったときに、落ち着いてみてください。
だいたい「でも…」って言い出すのは固定観念です。
「○○してほしかった。でも…」って思うなら、でもの先は無視していいんです。
自分が感じたことを受け入れる
あの時○○してほしかったという思いが出たとき、その時に感じた感情は何ですか?
その感情を受け入れましょう。
悲しさ、怒り、孤独感。
そのネガティブな思いも、全部受け入れていいのです。
だけど、行為は受け入れなくてもいいのです。
例えば、欲しいと言ったおもちゃを買ってもらえなくて悲しかった。
行為はおもちゃを買ってもらえなかったこと。
感情は悲しかったこと。
おもちゃを買ってもらえなかったことに重きをおいてしまうと、買ってくれなかった人に怒りを抱いてしまったり、そこからその人の嫌な部分を感じてしまったりします。
ただ、ひたすらに悲しかった感情を受け止めます。
悲しいと思っていいんです。
その時は、なにか事情があって「悲しい」気持ちを出すことができなかった。
でも、自分が感じたことは間違いじゃない。常識的にとか、世間的にとかおいておいて、自分の感じたことを受け止めてほしいです。
そして、行為は関係ないということは、相手が何をしても、してくれなくても、その相手に持つ感情は自由だということなのです。
例えば、たくさんおやつをくれたりして良くしてくれている。だからと言って好きにならなければいけない。感謝しなければいけないという訳ではないのです。
大切なのは感情なのです。
たったひとつ、飴一個しか貰えなくても、愛情をもらったと感じたことはありますよね。
行為が大切なのではないのです。
そうして自己肯定感がでてくる
そうして、自分の存在を受け入れられた時、自己肯定感は自然と上がっていきます。
無理やり「自分はできる!」と思い込むわけでもなく、自然と自分のできたことを認められるようになっています。
私は自己肯定感が高い人は落ち込まない人。ポジティブな人。自信が溢れている人、とは思いません。
自分のしてしまった失敗はきちんと受け止められる。落ち込んだ気持ちも、ちゃんとみつめることができる。自信がなくても、やってみようと思える。
前提として、自分という人間は価値があると思えていて、生きていく中で起こるさまざまなことを受け止めて生きている人かなと思います。
おわりに
なかなか、難しい題材なので書くのが大変でした。
でも、私は結婚してから自分のことがちっぽけで無力だと感じることがたくさんありました。
学生時代はあんなに自分のことを信じれていたのに、なんでだろうと辛くてグルグルしていました。
同じような方がもしいたら、何かヒントになればなと思います。
そうして色々と調べるうちに、今回書いたように気持ちを落ち着けることができました。
自分の感情を受け止めることは、できているようでできていないことです。
過去に悲しい出来事があった方は、思い出すのも辛い事かもしれません。
でも、できない時は、できなくっていい時なのです。
ちょっとずつ、やってみようと思えた時が、やってみる時なのだと思います。
少しずつ、自分の気持ちを聞いてみてほしいと思います。
長文お読みいただき、ありがとうございました。
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