見出し画像

お金の価値ってさ

「ぴかぴかの100円玉、あーげる。」

小学生の頃、私は初めて100円玉を手に入れた。
それがお小遣いだったのか、お年玉だったのか、どうやって手に入れたかはよく覚えていないけれど、きれいだと思った。

それを、仲良かった友達にあげた。
ただ、ピカピカ光る特別きれいなものを友達にあげたいと思ったからだ。
しかしその日の夕方、彼女のお母さんと彼女が、うちの母に100円玉を返しに来た。
向こうのお母さんも謝っていたし、うちのお母さんも謝っていた。

私はその後、「人にお金をあげてはいけないよ。」と言われた。
それは、大人になった今ならわかる。

だけど私はこの間、人にお金を貸した。
人と人との間でのお金の貸し借りは、あまりしないほうがいい、というのが多分世間の認識だと思う。

うちの夫はローンが好きではない。
なるべく大きな買い物も現金派だ。
でも、家のローンはある。

私はというと、そういえば独身の時にアクセサリーを4回払いで買ったこともあるし、ウェディングドレスの積み立てに入っていたこともある。
あと友達にお金を貸したこともある。

それが借金かどうかはわからないけど、月々払わなければいけないお金があるという状態は、多分どの人にもあることだと思う。



人にお金を貸したことによって、私は少しお金に対しての価値観が変わったように思う。

どうしてかというと、私は専業主婦でお金を稼いでいない。
ずっと仕事をしていないこと、イコールお金を稼げていないこと、というのが私の中にずっと罪悪感としてあったのだ。
(貸したお金は自分のお金で、旦那さんのお金ではない。)

ただ、旦那さんはそんな私に「いつもありがとう。」と言ってくれていた。
そして欲しいものは何でも買いな。
使っていいんだよ。
大丈夫だよ。と言ってくれていた。

けれど、私はそう言われても、本当は旦那さんは、心の中では違うことを思っているんじゃないかと疑っていたのだ。
恥ずかしい話だけど、夫の言葉を心の底から信じられていなかったの。
だから、無駄使いは出来なかったし、簡単にものを買うことが出来なかったし、何かを買うには夫に聞いてから買っていた。


夫の言葉をそのまま受け取れば、存在しているだけで価値がある、という事だ。
それを認めることなのだ。

でも、私はずっとそれを受け止められなかった。
いくらそう言われても、私が何かをしたから、その対価として夫がお金を使っていいよと言っているのだと思ったのだ。

例えば、子供の世話や日々のご飯作り、また、私が掃除をしたり、洗濯をしたり、ねぎらいの言葉をかけたり。
そういうことをしているからこそ、なんだと思っていた。

そして今回のお金を貸す話に戻るが、私はその方とは実際にお会いしたのは数回だ。
熱狂的なファンで、その方のグッズにお金をつぎ込んでいるわけでもない。
でもその人の発信や、イラストや、普段の生活を見てるのが好きだ。
そんな方がとあるお金に困っている。
だから私はお金を貸した。
それは普通に考えたらおかしなことなのかもしれない。
でも私はその方が必要としているお金を、今は必要としていない。
使う予定がある訳でもないし、絶対にこのお金には手をつけないと決めているお金でもなかった。


だから、いいですよ。大丈夫っていうふうに声をかけたんだ。
そうしたら、その言葉はまるっきり夫と一緒だなと気づいた。


その時に、やっとやっと夫の気持ちがわかったんだ。
夫は本当に私のことが好きなんだ。
本当に私の存在を好きでいてくれてるんだと気づいた。


私が、苦しい時も、悲しい時も、いつもそばにいて支えてくれている。
私はそのたびに聞いていた。
「どうしてそんなに優しいの?どうしてそんなに私のことを大事にしてくれるの?」と。

「すずちゃんのことが好きだからだよ。」と答えてくれた。
私はいつもその言葉をもらっても、ありがとうって口では言っても、本当にはその言葉を信じられなくって。
だって、私は何もあげてないよ?
何もしてないし…と思っていたんだ。



私は自分が何もしないで価値がある、とは思えていなかった。


今まで私によくしてくれた人はたくさんいる。
学校や職場でもどちらかと言えば可愛がられた。
可愛がられたんだけど、それには理由があるって思っていたんだ。
それは仕事ができるとか、気が利くとか、顔がかわいいとか、そういうようなことだったと思う。

だけど、もし仕事ができなくて、気が利かなくて、見た目もその人の好みでなければ、きっとこの人たちは、冷たいんだろうなと思っていたんだ。

だから、いつも必要以上に気を使ったり、周りの人の目を意識していたり、はたまた人の目を無視してしまったり。
そういうことが私、多かったんだ。

だから何かをするにしても、成果が出るとか、そういうことでやる。
自分の価値になりそうだからやってみる。
そういう風にしか物事を見れていなかった。

ここ数年で、そういうことを手放してこれたと思っていたのだけど、やっぱり「何かができるからすごいと言われるんだ」というのは根強くあった。

でも、ただその人が好きだから、という価値を人に見つけることで「私もそのままで価値があるんだな」ということを、やっとわかることができた。

がんばらない、そのままの私を好きでいてくれる人がいることを。
そして、それはすべての人がそうだということ。


今回のお金を貸すっていうことで、もちろん相手の方からは、本当にたくさん感謝の言葉をもらった。


だけど、それと同じ位、私にもこんな気づきがあって、本当にお金を貸すということをして良かったなと思っている。

お金は3次元で目に見える価値だ。
だけど、私達は目に見えないものにも価値を感じる。
それは、言葉だったり、態度だったり、気持ちだったりする。
お金では絶対に買えなくて、そして、たぶんお金よりも価値があるもの。


お金の貸し借りは良くないって言うけれど、自分が持っているものは、もっと素直に、ピュアな気持ちで渡せばいいんじゃないのかなって思う。
ただ言いなりになったり、自分が嫌な気持ちになるならしなくていい事だと思う。


きっとその方からお金が返ってくる時、私は自分でただ持っていた時よりも、何倍も何倍も嬉しいと思う。


その日が来るのを楽しみに待とうと思う。

この記事が参加している募集

熟成下書き

お金について考える

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 とっても嬉しいです!! 他の記事はこちらにまとめてます↓↓↓ https://note.com/suzu710/n/n1c65747c24cb いただいたサポートはお菓子の試作などに使わせていただきます!!