自分の欲しい愛の量と与えられる愛との違いに気づく
「息子くんは愛がたくさん欲しいタイプなのね。」
次男が生まれてから、長男の態度はひどく変化したと思う。
今までは、おっとりとし、落ち着いていて、言葉も柔らかい。
そんな風だったのが、まるで暴れん坊になってしまったのです。
「これが噂の赤ちゃん返りなのか。」
心づもりをしていた。
でも、現実として表れてきたものに、私はまったく対応できなかった。
なぜなら、長男にはイヤイヤ期がなかったからなのです。
おそらく初めて、こちらの言うことが通じないという体験をしました。
相手は幼稚園年中で、この間までしっかりと意思疎通が出来ていたのに。
なぜって、たぶん、弟が生まれたからなのだろうけれど。
色々と試しても、息子の態度は和らがず、私は保健センターの職員さんに相談しました。
その時に言われたのが、冒頭の言葉です。
愛がたくさん欲しいタイプ?
たとえば、寂しい時、ハグをするだけで十分な子もいれば。
ハグをして、頭をなでて、優しい言葉をかけてほしい子もいる。
「お母さんは、絵本を読んであげたり、2人でお散歩したり、などお話を聞いていると十分頑張られていると思います。それでも、足りないという感じなので、たくさんの愛情が欲しいタイプのようですね。」
このようなお話をしてくださりました。
その時に気づいたことがあるのです。
私も愛がたくさん欲しいタイプなのかも?
私は子どもの頃、なんとなくうちの親ってさっぱりしているなあと感じていました。
よそよそしい感じ。
簡単に言うと、褒められた記憶もないけれど、怒られた記憶もないのです。
アニメのちびまる子ちゃんでは、お母さんが鬼のように怒ります。
子どもの時は、これはアニメだから大げさに描いていて笑わしてるんだって思っていました。
うちの母は、私に対して声を荒げて怒ったりだとか、小言を言ったりだとか、そういうことがなかったのです。
けれど、子供が生まれてから「大げさじゃないやん、事実やん。」って思いました。
また逆にテレビドラマとかで親子の感動のシーンみたいなもの。
例えば、子供を応援したり。ハグしたり。
それもドラマだから、感動シーンにしているだけやんって思っていました。
こんなこと、うちの親はしないし、と。
でも高校生の時に、部活動で他の友達の親が熱心に応援したり、カメラで撮ったりしているのを見て「え、ドラマの家族は本当なの?」と思いました。
私の親は、最後の大会だけ来ました。
声をかけてきたと思ったら「写真上手く撮れないから、撮らなかった!」と笑っていました。
放任主義という言葉を知ってからは、うちの親は放任主義というやつなんだと納得しました。
父親はずっと単身赴任で、初めて一緒に暮らし始めたのは、私が高校生になった時。
そして言った言葉は「あれ、すず、もう高校生なの?」だった。
私にそこまで興味がないんだろうなと、確信した瞬間でした。
仲は悪くないけど、よくもない。
家族がならんだ記念写真なんかない。
それが、ふつうの家族だと思っていたから。
でも、大人になるにつれて、友達家族との違いを感じた。
「両親の結婚記念日だから、お祝いのご飯に行ったねん」
「お母さんと海外旅行に行ってきたから、おみやげ!」
「親が家に泊まりにきて、楽しかったわー」
結婚記念日っていつか知らんし、親と海外なんてとんでもない。
泊まりにきたら絶対疲れるわ、と心の中で思うしかなかった。
私に子供が生まれたときに、友達がお祝いにきてくれた。
そして、私と両親をみて「あれ?仲悪いの?」と言った。
ストレートな一撃だった。
そう、見えるんだな。
でも、これが普通なんだけどな。
そうして育ってきたけれど、実は私は、あのホームドラマみたいな愛が、欲しかったんだと保健師さんの言葉で気づきました。
うちの親は放任主義だからさーラクチンだよって言いながら、友達みたいに仲いい両親のいる友達が羨ましかった。
本当は愛されていないんじゃないかって、思いながら聞く勇気もなく、なんとなくそのまま大人になっていったんだっけ。
ひどい言葉を言われたり、過干渉してくる親よりよっぽどいいじゃないか。
そんなことぐらいで、と思う人もいるかもしれない。
それでも、怒られないということはイコールどうでもいいと同じなんじゃないかと。
興味がないから怒らない。
どうでもいいと思っているんじゃないかと思っていたのです。
それこそ、私が人よりも多くの愛が欲しいタイプだからなのかもしれない。
私の記憶には「がんばったね。」という言葉がひとつもない。
親に認められたくて、頑張っていたわけではないけれど、賞をもらっても、大会でメダルをもらっても、就職しても。
また逆に強く怒られた記憶もない。
中学の時、髪の毛を染めても、ピアスをあけても怒られなかった。
高校でがくんと成績がおちても。勝手に一人暮らしの家を決めてきても。
親も子も、人それぞれで。
合うか合わないかもわからないまま、家族になる。
だから、親はこれで十分だろうと思う愛を与えている。
けれど、私はもっと欲しい。
だから、両親を冷たく感じているんじゃないのかなと気づいたのでした。
その時以来、私はいろいろなことを思い出していました。
ひとり暮らしの時、ご飯を買ってきてくれたな、とか。
進路を決めるとき、反対しなかったな。
結婚するときに、私の為にお金を貯めていてくれたな、とか。
見守る愛
支える愛
静かな愛
愛にもいろんな種類があって。
私のしてほしいことだけが、愛の種類じゃない。
言葉にしなくても、態度にでなくても、こっちが気づかないような小さい愛があるのかもしれない。
息子たちが誕生して、そんなことを考えるきっかけとなりました。
だから、出産のため里帰りしていた実家から帰る日、思い切って聞いてみたんです。
「わたしがいなくてさびしい?」
「あたりまえだよ!本当は関東なんかにお嫁に行かないでほしかったけど、でも、仕方ないやん。」
私は、その言葉の中に、母の見守る愛をみつけました。
意味のあることを言うことだけが愛じゃなくて、何も言わないことも愛なのかもしれないと。
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