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島に憧れる私が過ごした2週間vol.2~山村留学と小学生~

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山村留学

えんでは1年間で小学生を受け入れ、山村留学をしている。
山村留学は「自然豊かな農山漁村に、小中学生が一年間単位で移り住み、地元の小中学校に通いながら、さまざまな体験を積む」活動です。

えんでは3人の学年も性別も出身も異なる小学生を受け入れ、一緒に生活を営んでいた。
4月から3月の1年間、小学生にして親元を離れ、知らない地域で生活するということにびっくり!私だったら絶対にさみしくて毎晩泣いちゃう…

えんでの小学生たちの生活には驚きの連発!
毎朝小学校に行って帰ってくるってところまではいっしょだけど、それ以外がいわゆる私が過ごしてきた小学生生活とは異なりすぎるもの!


えんでの小学生の当たり前

私も過ごした典型的小学生とは
朝起こされて、用意されたご飯を食べて、準備して学校へ行く。
放課後、夜ごはんまでは、宿題するか、ランドセルほっぽって公園で遊ぶか、友達とゲーム、もしくは習い事の日もあった。
外から帰ってきたら夜ご飯は準備されていて、食べたらテレビ、ゲーム、風呂などの後に寝る。が基本のかたち。
みなさんも多くがそうだったのでは?

えんでの小学生の生活は全然違う。
7時前に起床、朝食、学校への準備、学校から帰ってくると、宿題、遊び、夕食、お風呂、そして8時半には就寝
とっても規則正しい生活。でもえんの特徴はこの規則正しい生活時間だけじゃない!


えんでのルール:基本的なことは自分でやる。これが当たり前。


食後の食器洗い、お風呂を沸かし、お風呂掃除は小学生3人が毎日当番制でやる。取り込んだ洗濯物も自分たちでたたんでしまう。

私たちが善意でやろうと思ったら、「じぶんでやるから大丈夫」といわれてしまったほど。

食器洗いは、ちーちゃん、ごりりん、小学生3人分、計5人分の食器を洗って拭く仕事。
お風呂掃除も、みんなが入った後のお風呂を、次の日お風呂を沸かす前に洗う仕事。

一番違うのが「お風呂沸かし」
お風呂を沸かすのは、ポチってボタンを押せばいいわけじゃない!

なんと!えんのお風呂は五右衛門風呂。外から木を燃やしてお湯を温める古典的なお風呂!

……なので、お風呂沸かし担当は、1から火をつけてお風呂を沸かすことがお仕事。子どもに火を扱わせるのは危ないからやらせないと言われがちだが、えんではやる!

小学生の時一人っきりで1から火をつけたことはありますか?

えんでの子どもたちは新聞紙と1人1個のマッチ箱をもってお風呂の外へ。
大きく太い木を土台にだんだん細い木、木の皮や小枝を組んでいく。そこに新聞紙を入れ、着火する。
上手くいけば細い枝から火が広がり太い枝につき、風呂が沸かせる。
でもそんなに簡単にいくものじゃない。
ある女の子は火をつけるのが苦手で、新聞紙についた火が枝に広がらない。やり方は分かっているけどうまくいかない。
できる子と苦手な子の違いは、木の選び方と組み方。一発で火を付けれる子は木を組むのが上手い。あと、そういう子はマッチの減りが少ないからわかりやすい。

ある男の子は、私達に火のつけ方を「これはこうするんだよね」と自慢げに教えてくれる。頼もしい背中だった。

小さい背中だけれども頼もしさはとてもある!

お風呂沸かしをする小学生についていこうとしたときにちーちゃんとごりりんに言われたことは
大学生の私たちが手伝ったらすぐできてしまうから、できる限り手を出さないでと。
出来なくて泣きそうになるこの隣で「もう一回やってみよ」「この木はどうかな?」「今いけそうだったからできるよ」と声を掛ける。結局私たちが手伝わなくても自力でできる。
こどもは案外自分の力で考えれば、応援してあげればできるものだ。
えんではこういうことを通して、こども本来の生きる力を育んでいるように思えた。


知らない・ものがないという贅沢

えんから小学校までは子供が歩いていける距離ではないので、毎日ちーちゃんかごりりんが送り迎えする。
それもあるのか放課後に友達と近くの公園で遊ぶとかはほとんどない。学校が終わってしばらくしたら元気に「ただいまー!」って帰ってくる。
その後は家で宿題をやったり、本を読んだり、えんにいる小学生はゲームもスマホも触りもしない。そもそもない。

「ゲームとかスマホとかしたいと思わないの?」って聞いたら

「思わない」「興味ない」

ゲームもスマホもある世界に浸りきった私はこの時思った。
こんなに魅力ある機器をちゃんと使ったことがないからそう思うんだろうな。
と同時にゲームもスマホもないという世界しか知らないこの子たちはなんて贅沢なんだろう。と。

なんでこう思ったかというと、
私の場合、小学生の途中からゲームがみんなの中で浸透してきて、それまでは公園で体を動かして遊んでいたのに、ゲームが手に入ってからは公園か家に集まってみんなでゲームをするようになった。
前までは、公園で今日は何する?こういう遊びしてみようよ!と創造的・想像的にしていた遊びがなくなった。しかも体も動かさなくなった。これでは何かが良くないと思う。何がとはうまく言えないけど、小学生はゲームやスマホが近くにない方が得られるものがある気がした。

だから、空き時間を自分で考えて使える。しかも創造的なことに。そんな可能性が多く残る山村留学生が羨ましかった。


普通の小学生ではできない体験が盛り沢山!

いわゆる小学生の休日とは?
私が思うのは、近所の公園で外遊びだったり、親と買い物やおでかけ、旅行だったり、最近の子は家でゲームやyoutubeとかもかな?
さっきも言ったように、えんではこの全てをしない。

学校の宿題や、読書や、お絵かきなどをしたり、自分で時間を使ったり、お互いで遊ぶか、えんでの自然体験などをするかの2択に思えた。

私たちがいた期間では、海に泳ぎに行く、海ゴミ拾い、稲刈り、醤油づくり、椿油絞りなどをやっていた。

五感全てを使って体験するものばかり。普通の生活では出来ない体験ばかり。

海で遊ぶ前に一人一袋ゴミ拾いなさいって言われて頑張る子たち
醤油づくり ここから醤油になるの?
学校のお友達と一緒に稲刈り

こんな体験が小学生のうちにできることに羨ましさを感じた。

さっきもゲームのくだりで似たようなことを言ったけど、小学生のうちに体、五感を動かす、自分で考えて遊ぶことは本当に大事だなと思った。
あとは、のちに詳しく書くけど、豆腐や醤油、梅干しも一緒に手作りする。こういう何がどうやってできているかということも知れる。大事。

不思議と、私が知っている家や公園でゲーム機やスマホとにらめっこしたり必死になっている子供よりも、海や畑などでキャーキャー騒ぐ子供たち、面白そうに手作りの藻を作る子供たちの方が、顔、特に目がキラキラしているように思えた。

あぁこどもってこうある方がいいよなぁと思った。

山村留学を推したい!

小学生のころに経験した1年間は大きくなったら全ては覚えておけないかもしれない。1年間留学できるというありがたみを感じるのは留学中ではないかもしてない。
でも、小さい頃の小さな気づきやわくわくした気持ちを大人になってふっと思い出して、それが将来進む道を決めることもある。

子どものころにこそ日々の生活ではできない多様な経験を、住んでいる地域だけが全てではないと思える経験をした方がいい気がする。

コンクリの街でスマホやゲームを見るのではなく(これはいつでもできるし)、すべてを手放して五感をフルに使って野山をかけめぐったりした方がいい気がする。

そんな素敵な時間をこどもにプレゼントできるのが山村留学だと思った!
私が小学生なら行きたかった!

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