【休職の振り返り②】症状とそれを受け入れる
「適応障害と抑うつ状態」という診断が書かれた診断書を携え、所属部署の上司と労務、関係各位と面談や手続きを行った私は正式に会社を休職することとなった。
ああ、これでもうあの人(A氏)と当分かかわらなくて良いんだ。
そう思うと少しほっとした。
…だけど、物理的にかかわらないからと言って、ストレスや苦しみのすべてから解放されたわけではなかった。
私の症状
実は、10代のころ、うつ病になったことがある。
だから「うつ」というもの自体は知っていたものの、「適応障害」という言葉を知ったのはそれからだいぶあとのことだった。
テレビなどから見聞きする芸能人や著名な方の休養のニュースで知った覚えがある。
だけど恥ずかしいことに、それこそテレビの向こう側のこと、規模感の大きな世界での出来事という認識だった私は、どういう症状が適応障害なのかを理解しておらず、調べたこともなかった。
そんな私が実際に心療内科で「適応障害と抑うつ状態」と診断され、そこで初めて適応障害がどういうものなのかを調べたのだった。
調べてみると、確かに私にも上記のような症状があった。
また上記以外だと私は意欲、集中力、注意力が散漫、ときには著しく欠如していたように思う。
そのため、思うように仕事ができず、とにかく支障をきたしまくりだった。
ただ、
とある通り、業務時間外や休日になるとそれなりに身体はしっかりと動いていたし、食欲に関して言えばどんなときにでもあった。
元気だったかどうかと今振り返ってみれば、そこは元気ではなかったとは思うものの、日常生活に支障をきたしているわけではない。
傍目から見れば私の身体はそれなりに機能している状態だった。
本当に休んで良かったのか?
どんなに仕事のパフォーマンスが落ちていようとも、「仕事が全くできない状態」ではなかった。
だって日常生活を送れているんだから。
だから、どれだけあの人が嫌だとしても考え方を変えたり、気にしないようにしたりすれば、実は仕事ができるのではないか?
ひとりでぽつんと家にいると、そんなことばかりが頭をぐるぐる巡って、「何で私は休んでいるのだろう」と思うようになった。
特に体調が悪いわけでもなく異常が出ているわけでもなく、しっかりと動く身体、朝昼晩のごはんを美味しいと思って食べている私。
確かに睡眠は、途中覚醒と何時に寝ようが朝の4時過ぎには起きてしまうことに悩まされているものの、寝つきはのび太並み。途中覚醒だって、そこから寝られないわけじゃない。トータルで考えれば、睡眠時間が他の人よりちょっと短いだけで、不眠というわけではない。
こんな状態の私が、なぜ他のひとと同じように働けないのだろう。
身体の機能だけ考えれば、どう考えても元気じゃないか。
A氏から、そして会社から離れて、ちょっとほっとしても、徐々に罪悪感や不安がじわじわと湧き上がってくる。
一日の、そして人生の多くの時間を仕事に生きてきた私にとって、何もしていない自分は生きる価値のない人間だとさえ思えた。
(元々、何もせずにだらだらと過ごすことができない性分も影響していたのかもしれないけど)
休むことを受け入れる
「私は一体何をしているのだ」と思いながらも、休職期間に突入した私。
居心地の悪い不安を抱えながらも、休職開始すぐに心療内科の再診予定があったので、先生にそのときの気持ちを相談することにした。
先生は私の気持ちをひとつひとつ受け止めてくださった。
あなたの感じている罪悪感や不安は当然のことで、今は気になってしまうかもしれない。
それでも今は、あなたの心身の健康が何よりも大事。
その健康のために、今は目一杯休んでほしい。
先生はそう言ってくれた。
先生と交わした言葉の多くを記載するにはnoteが足りず割愛しているのだが、先生は繰り返して
あなたはこれまでたくさん頑張ってきたのだと思う。
だからこそ休んでほしい、休むべきだよ。
と伝えてくれた。
穏やかで、それでいて力強い先生の言葉に、改めて今の私の状態が健康ではないのだと認識させられた。
そして本来、ひとがそうであるべき健康のために、今私がすべきことは「休む」ことなのだ、と。
先生が伝えてくれた言葉は、私が自分を認めてあげられない、いわば自己肯定ができない私を肯定してくれるものだった。
身体が動こうが、ごはんが食べられようが、何だろうが、今の私は100%健康ではない。
「休んで良いのか?」と思うこともひっくるめて今はそういうときだからこそ、休まなければならない。
専門家でもある先生がそう言うのだから、今はその言葉を受け止めて、守ろう。
私の心身を蝕む不安がすべて払しょくされたわけではないけど。
今はこの時間を自分のために過ごそう。
先生の言葉を頭の中で反芻しながら、私は病院をあとにした。