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富山マラソン2021を走ってみた

久しぶりの記事になります。タイトルの通り走ってきました。42.195kmのフルマラソンです。富山マラソンの参加は今回で3回目。1回目の時はフルマラソン自体が初挑戦でした。
今回の結果に触れていく前に、フルマラソンに初挑戦する大会としてどうして富山マラソンを選んだのか?という理由をあれやこれやと書いていたんですが。

過去の自分が同じ事がっつり書いてました。2時間の苦労は一体(最初から確認しておけばよかった)

というわけで早速今回の話。まずはタイムから。
グロスタイム:3時間55分
ネットタイム:3時間53分

天候は快晴、気温は20度近くまで上昇。ただし11月開催の恩恵もあって、湿度は高くなりませんでした。35キロ過ぎから辛くなってペースが落ちてしまいましたが、現在のコンディションを考えれば望外の結果でした。1人で走っていたら絶対こんなに良くはなかったです。

補足:どうしてタイムが2種類出てくるのか?
簡単に説明すると、
スタートの号砲が鳴ってからフィニッシュゲートを通過するまでがグロス、
スタートゲートからフィニッシュゲートを通過するまでがネットになります。

こういう大会で優勝したり上位に来るような選手は、スタートゲートのすぐ後ろで待機しているので、号砲が鳴ると同時にゲートを通過できるんですが、大多数(今回で言えば約1万人)のランナーが横一列に並べるほどゲートは広くありません。

横に並べないとなると縦に並ぶしかないんですが、そうなると後方になればなるほどスタートゲートから離れていき、号砲からゲート通過までタイムラグが生じるわけです。ちなみに今回はゲート通過まで2分掛かりました。
※速いタイムを持っていなくて後方のスタートブロックに回され、号砲からゲート通過まで20分かかった(しかも15分ぐらいずっとその場で待機していた)、いつぞやのナゴヤシティマラソンに比べればマシ。

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現地開催のフルマラソンに参加するのが約2年ぶり、大会としても昨年はキャンセルになったので2年ぶり。

早朝の富山駅も2年ぶり。
新幹線に乗り込むランニングウエア姿の人たちも、
新高岡駅でシャトルバスに乗るまでの行列も、
スタート地点へ向かう際の行列も、
手荷物預かりのごちゃごちゃ感も、
スタート前のトイレ待ちの行列も、
エントリーする際の申告タイムごとに一定のエリアで区切られた、スタートブロックに待機するのも2年ぶり。

懐かしさを覚えると同時に今までと変わらない光景が戻ってきて、「いつもの」マラソン大会が帰ってきたんだなあと強く実感しました。

そのスタートブロック、過去の大会も含めてちょっと調べてみたんですが、
1回目は申告タイム4時間でCブロック
2回目は確かサブ4のタイムで申告したけれど、ブロック自体が細分化されたので、待機位置は変わらなかったもののDブロック
だったんですが。
今回は3時間45分で申告したのにFブロックでした。待機場所もC,D時代から後方へ

2年ぶりの開催だったから、参加者のレベルが上がったってこと?

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今回はスタートの待ち時間よりも、スタートラインに立つまでが苦労の連続でした。

エントリーした時期は、あんまり口に出したくない例のアイツが流行している真っ最中。2020年の春先からマラソン大会が軒並み中止になる中で、この富山マラソンも2020年は開催されませんでした。

最初の頃は「現地での大会は中止にするけれど、ランニングアプリを利用したオンラインに切り替え」でも喜んでいたんですが、どこでも走れる&感染防止のために県外に出るのが憚られるとなると、走れる場所は必然的に限られてしまうわけです。
現地のコースを走ってみたくてエントリーしたはずなのに、「来年は優先出走権をあげるから」と言いつつ2年連続で(しかも早々と)キャンセルの連絡をしてきた大会もありました。エントリー料だけ取られた上に2年待たされて開催されない印象がこびりついてしまい、今後現地開催されたとしても2度と出たいとは思いませんけど。

というわけで、目標となるものが何もないまま、週末を中心にランニングは続けていたんですが。目標がないからと無意識のうちに無茶なことをするようになっていたのか、夏もすぐそこという7月に左膝を痛めてしまいました。

フルマラソンを走りきれるようになったので、現時点ですっかり回復はしているのですが、痛めた直後は歩くだけで激痛。
朝起きてちょっと治まったからランニングシューズに履き替えて、準備運動も終えてさあ走ろうとした1歩目で激痛。

結局今年の夏は、7月11日に記録された300mを最後に、8月の終わりまでランニングのログは残りませんでした。

8月の終わりと9月の頭に5キロ程度の記録が少しだけ増えたものの、怪我前はキロ5分前半で走っていたものが7分台まで急降下。しかも再び痛み始めたので3週間ぐらい記録が残らず、隣の町で彼岸花が咲く時期にようやく5キロ以上の距離を走れるようになったんですが、40分走るだけで息が上がってしまうようになってしまいました。その40分間での移動距離は7キロ。ガーミンで常に50前後を維持していたVo2MAXは48へと降下。

これ、フルマラソンとか夢のまた夢じゃね?
という感じ。もし10月前半の開催だったら大人しく棄権していたところでした。

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しんみりした話が続いたので、気分転換にナゴヤシティマラソンで応援するドアラ先生をお楽しみください。

10月になったら、1時間走っても膝が音を上げないところまで(ようやく)回復。大会が開催されるような雰囲気になっていったのも後押しして、徐々に距離、時間、頻度を伸ばしていき、大会3週間前にはハーフの距離を、2週間前には30km近い距離を走りきれる程度までになりました。が、結局20kmを超えるロングランはこの2本だけ。

主催者の言うところの完走、つまり制限時間内でのゴールは大丈夫だろうけど、怪我前のレベルまでは戻ってきていないので、タイムとしては上手くいって4時間ぐらい、撃沈した大会の記録(※4時間半)は上回れるかな?という程度の状態だろうと思ってました。

それでもやれるだけのことはやろうと、ロングランの前にレース用のランニングシューズを新調し、ついでにウエアも新しく購入。

11/3の祝日にも1時間走り、大会前日の11/6にも夕方に30分だけ環水公園を走り、「明日はどんな表情でゴールに飛び込むことになるのだろうか…」と想像しながら、11/7の大会当日を迎えるのでした。

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つづく

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