見出し画像

はじめまして、スザンヌみさきです

「堕ろしてくれ」

「嫌だ!私はこの子を生む!」

「でも、俺は別れる・・・新しい妻がいるからな」

そう言って父は母と離婚した。

本来生まれてくるはずがなかった私は、母の意思により1987年7月21日に生まれた。

これはオコエ瑠偉さんの誕生日であり、はるな愛さんの誕生日でもある運命の数字0721である

母の実家は農家で、幼い頃から家の家事をまかされ兄弟を食わすために家事をせっせと手伝った。母の母・・・つまり私にとっての祖母は病気で家事もできず、手術の影響もあって家から出れない、明日を生きるかもわからないほど体が衰弱していた。

母はそんな家庭で育ったが、そんな家庭が嫌だったのかもしれない。

熊本県球磨郡という山奥の田舎の盆地は、幸せに生きたいと願う母にとっては過酷だったのかもしれない。

高校卒業後、母は熊本から愛知県に状況した

岐阜県との境である一宮市(いちのみやし)だ。

一宮市といえば、カレーで有名なCoCo壱番屋の本社があったり、有名なコメダ珈琲などでも当たり前になっている「モーニング」が生まれるキッカケとなった街である。

そこで父と母は出会い、恋に落ちて子供を授かった

私には兄2人がいる。

兄2人は母と父に育てられたが、母が私を身ごもった頃には父には別の女性がいたらしく、その女性との間に子供もいたようだ。

それで父は母と離婚を決意し、身ごもっていた子供・・・つまり私を堕ろせと母に言ったらしい。

この話を聞いて私も正直腹がたったが、母が「この子は絶対に産む!」と決意してくれたお陰で私がここに生きている。

画像1

スザンヌみさきという存在

ブラブラ付いてる元気な男の子はたくましくムキムキな男へと成長し、肉体も見た目も男として立派に育った。

だが、18歳にヒゲの永久脱毛を皮切りに19歳で女性ホルモンを開始し、肉体の女性化を進め、21歳で睾丸摘出(きんたま)、豊胸手術をしてしまう。

そして愛知県名古屋市錦3丁目。東京で言う所の歌舞伎町のような夜の繁華街でニューハーフデビューを果たし、男性経験も積み重ねる。

男だったし、立派なモノがついていたのに健康な男性の体を捨てて投薬ドーピングに美容整形で女性化を進めていった

そして31歳になった頃にはタイで性転換手術をして、戸籍の性別も女性にしてしまう。

スザンヌみさきはそんな経験を元に、同じく男に生まれたが女性になろうと努力している人達・・・一般的には「オカマ」や「ニューハーフ」と呼ばれる事が多いが、最近では「トランスジェンダー」と呼ばれるようになったセクシャルマイノリティの人達。

そんな人達に向けて体の女性化情報を発信していくようになる。

この「肉体の女性化情報」は2011年から開始しており、その情報を見て体の女性化を成功させた当事者はかなり多い(らしい)

文字通り「女体化日本一」として今後も肉体の男性化に悩み、体の女性化を望み、行動している人たちに向けて情報発信をつづけていきます

このnoteでは、そんな女性化の中でも「Youtubeでは言えない話」を中心に記事を重ねていきます。

よければフォローや「スキ」などで応援していただけると嬉しいです

2021年3月18日
スザンヌみさき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?