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言語の消失。。

私はどっぷり昭和の人間です。
最近のハラスメント問題は、ずいぶん前から気にはしていました。

先日あるTV局の番組で「不適切にもほどがある」という番組を友人に紹介いただき、一気見しました。

「うん、わかるわかる」とうなずき、時に笑いながら見ました。

今の時代、何かと発言自体に難癖つけてくる輩すらいなくなったのは、ちとさみしい気持ちもしています。
私の方から仮に、「ツッコミ」をいれたとして、「スルー」されるのが落ち。 
そんな場面を、発言前に早、思い描いてしまうが故に、こちらも本来いれるべき「ツッコミ」は心に、ぐっと押し込んで、先に「スルー」するということを覚えました。


つまり、様々な場面においての話題が表面的になり、また表層的でもあり、人と話すこと自体が時間の無駄とさえ思ってしまうのは、寂しい限りです。

子どもたちを見ていると、非常に少ない語彙の中でやり取りが行われ、それで済んでいるという非常に狭い空間感を感じてしまいます。
この子どもたちは、将来大人になっても、言語の狭い世界で一生終わるのかと思うと、それはそでれで、余計な老婆心なのでしょうが、もう少し、本を読んで、文章に触れ、語彙を増やしてより大きく、深い世界を築き人生を豊かにしてほしいと祈るばかりです。

老いている身にとっては、将来もへったくれも知れたもんです。
しかし、これからの将来を担う子ども、若者たちは、自分たちの将来を広く、深くそしてそこに楽しみがあることをぜひ築きあげてほしいものです。



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