古事記の神話は制作当時には知るすべのない未来科学の知識集だった

タイトルを変えました。信じるも信じないもどうでもいいなどと書いたことを痛く反省します。いや、このことは極めて大事なことなのです。日本の代表神話なのですから、単なる童話ではないことを発見した者が懸命にアピールしないでどうするのか。そのように思ってのことです。

古事記の神話は制作当時には知るすべのない未来科学の知識集だった


古事記の神話にはすごい科学知識が盛られている。 オーパーツ的と言ってもいいだろう。 それがなぜ極東の日本に伝えられたか 、その理由は様々に考えられるが特定できそうにない。
未来的科学知識は神名で表されている。 それを単刀直入に日本人特有の感性で解読すればいい。 神棚に祀りたい厳かな気持ちや先入観はここでは邪魔になるから 横にどけときます。

その昔 神々は神官層の手によって物語化されて作られた。 紀元前1000年頃のバビロニア時代にそれは始まった。
 https://red-avian.info/monoomoi/qbl-3.html#2…
同時にそうした知識と神々が創られた経緯は一般大衆から秘匿され、 人類に特別な知識階層が現れて人々をコントロールするようになった。 それが今に知られるDS(ディープステート(世界を裏側から操ると言われる陰の支配者層)の発祥だったと目される。

世界の他の地域ではどんなことを神名にしたかは知らない。 ただ日本だけは未来科学の知識を神名に留め 遺そうと努力した形跡がある。
 https://red-avian.info/monoomoi/qbl-2.html#22…
当時の環境では実現の見込みのないことだが 、後世のいつの時点かで開花させるための触媒の作用をすると見込んでいたのかも知れない。 あるいは単に後世の人々をびっくりさせるためだったのかも知れない。今現在では、後者のケースになろう。私がそれを見つけたときびっくりしたのだから。

私はその科学知識を古代人は「日(ひ)」と呼び 文明と同義にしていたと思う。 「日」は日嗣皇子とも言うよう 太陽の神霊のことともとれるが 、エジプトでファラオに太陽神封入の儀式がなされていたとする吉村教授説のように 、日本でも行われたのかどうか。日嗣とは棺のことでもあり、古代エジプトではピラミッド内の王の間の棺を日嗣の儀式に使っていたわけだから、古代から天皇家の代替わりの際に、棺が用いられたかどうかというわけだが、識者はご存知だろうか。

むしろ私は、古事記は持てる科学知識の優位性を世界に誇るための知識集であり、 科学の分野で世を利益しようとの意気込みを感じるほどのものゆえに、「日」と表現されたと捉えている。
つまり知識伝承者としての日嗣であり、 それは口から耳へのカバラの伝統と言ってもいいものである。 カバラは文字に書き残すことが憚られたものであったが、 日本では漢語で暗号化されて、まず江戸時代の本居宣長の解読まで据え置かれ、そのときも神名の荘厳さにより、神棚に祭り上げられたにとどまっていた。
そして神話のストーリーだけが昔話的に語られるばかりとなり、まるでそれは人間のように失敗しやすい神々が演ずる御伽噺のように扱われてきたように思われる。
そこから一歩踏み出して、神名の意味するところまで考察したのは、今となっては私しかいなかったのかも知れない。

古事記の成立とともに、秘教的カバラの体質から決別して、大陸で顕教として盛んだった道教や仏教への移行が始まっている。
時の権力者の観点から言うならカバラ祭祀の遵守は物部氏までだったろう。物部氏滅亡以後はその系統の伝承者は排斥の対象となり 、天狗とか鬼などの習俗的異端者となって淘汰されていく。

鎌足らは大陸系のDSと目されるが、DSならカバラを擁護するのではないかというと そうはならない。 DSは人類を牧する歴史の黒子であるために、計画的に歴史の運行を変え方針を変える。
大化の改新は方針転換の大革命だったとみられる。 当時の世の中において実現の見込みのない知識伝承でしかなかったものを棄却し、伝承の役割がなくなった代わりに 、為政者の神世から繋がる王統の謂れを新訂神話で王権神授を語ることで権威を持たせ、道教の最高神たる天皇を称することでこれを体現したのが天武天皇だった。

ここまでの仮説は1995年のもので、 革命の中身につき仮説を立てているのが昨今の研究である。
転換点ではDSが総力挙げて取り組むため 、尋常でないことも実現する。 DSは天皇の縁戚の傍流となり貴族として力を持った。鎌足の後を継ぐ 藤原氏はDSの家系かと思われる。

DS発祥はシュメールに始まるか

シュメール時代には都市国家群が林立した。 各都市に祀られる神がアヌンナキの神で宇宙人である。 当時は人々の間にも彼らの存在は浸透していただろう。 当然ながら宇宙文明の利器はもたらされ使われていただろう。 シュメール人はその恩恵に与っていたはずだ。時代性にそぐわない電池らしい遺物が見つかり手術がなされていたことなどが確認されている。
その後時代は進み、知識は人類を牧するに支障するとしてか秘匿され神官層だけのものになる。つまり、DSのルーツは時代を超えて形を変えていった神官層なのである。

アヌンナキも神官層に人類のコントロールを任せた。 この関係性において彼らは神に委任された牧童となった。 だからDSの信じる神と一般人が信じる神は異なる。 大宗教であるキリスト教徒であるふりをしながら 、彼らが信奉する神をDS加入を目指す者のために 紹介したらこうもなるかも知れない。

法王の謁見の間
法王の背後にはドラコ・レプ族の神とキリストが両面宿儺として鎮座している
その下には多くの髑髏が配置されているが、生贄なのだろうか

これを見て悪魔教だと言ってしまえばそれ止まりだ。 そこにあるのは牛頭のモレクでもない。 像はドラコ・レプ種族のそれだ。
彼らは唯一絶対神の代わりに先進科学を持つ宇宙人を神としている。 分かっていてそうやっていることにより真の神に対しては反逆し、宇宙人に対しては忠誠を尽くしていることになる。 人は人類発祥の謎に挑む必要がある。

ところが、人々は生活と金儲けに時間を割いているから、 牧童にとっての家畜状態は続く。 宇宙に開かれた彼らと地上に閉ざされた人類の格差は広がる一方だ。彼らは宇宙人から供与された ルッキンググラスやタイムトンネルなども利用して、 古代に居ながらにして未来を知る立場にいたりする 。牧童の便宜のため機材が必要とあらば提供されたりもするだろう。
そのため、こんなオーパーツ的な遺物も見つかっているようだ。

ルッキング・グラステクノロジーについてはコーリー・グッドがデビッド・ウィルコック
との対談の中で語っている。この技術とAIを使えば、未来に起きることの詳細がかなり
的確に映像化されて見ることができるという。
⇒ https://red-avian.info/monoomoi/cdsd/COSD.html#2-14

古事記神話の出だし「天地のはじめ」を見直してみれば、 この世が異世界のコンピューター(高御産巣日神::思い金の神の父親)の被造物とされていたので驚いた。 プログラムのほうは神産巣日神として静的に鎮まっていて、 それを使って3次元世界の歴史を生じさせているらしい。 元祖マトリックスについて書いているのだ。 映画には異世界の技術者が出てきたが、 天の御中主神がこれに相当するだろう。

古事記の宇宙論は別天からこちらの世界がコンピューターによって起動されているというものだ。

神話で眼目になっているのが 国譲り後の天降での天津神の持つ科学文明の利器の移植だ。この中に情報処理機器が多く出てくるから、 現文明がその出揃いの状況にあることは 天津神の方針に則っていることになる。
それは科学の発達進化であって霊的な向上進化とは別物だが 、人類はそれを進化として受け容れるわけである。

その成行きを已むを得ぬものとするためにか、 天地の初めから この世界の発祥以来の歴史の流れを、宇宙と物理法則の発生、地球の大陸移動説、文明の発生から混迷期を経て屍体跳梁の黄泉の国に至り滅ぶものとして、神話によりレール付けがされている。
霊的な側はそこから勇なく遁走するもの として宿命付けられる呪詛が施されているようにも思われる。 その黄泉の国を我々はいま体験中だ。



岩戸隠れは多事多難な長期間のことで、日食の如き短時間のことではない

天照大神の岩戸隠れは一般的には日食の謂れとされているが、 その間の狭蝿なす満ち、万の災い悉く起きたとしていることを見ると、 多事多難の長期に及ぶ期間が想定されていることが分かるだろう。
それを短期に終らせるべく下界で祭りをしたため、 日食のわけを知っていた卑弥呼のシャーマンとしての権力増大に寄与したのは間違いないだろうが、岩戸隠れが日食そのものという説はいただけない。

天照大神・卑弥呼説にとっては都合良くなるが 、予め想定されたはずの長期間の災いの理由が説明し切れていない。 この世界を滅亡に瀕させたほどの災いの伝承がなくては理由が見出せないのではないか。 それはあるにはある。
 https://red-avian.info/monoomoi/qbl-2.html#53…
それは天体と地質学レベルの受難期のことで、 古代人にはその記憶があったのだろう。

それを知る古代人は宇宙人との交流なくして語れない。 つまりDS級の者ということだ。 卑弥呼は受難を止めたわけで、予備知識はあったと見ていいだろうから、DSに連なる人物だったかも知れない。

また高楼に住し神託を受ける巫女とはシュメール/バビロニアのジッグラートの天辺に設けられた神殿の巫女の伝統的流れを汲む者だろう。神殿巫女は宇宙から来た神から託宣を受ける側だから、降臨を果たそうとする天津神族の総帥たる天照大神ではないはずだ。こうしたことから卑弥呼・天照大神説は否定されるのである。

記紀神話の前身と目される秀真伝にも岩戸隠れはある。
規模は天体レベルではなく宮廷を乱しただけのもので 、未然に首謀者は捕まり遠投や死罪の判決を受けて処分され、回復もそのレベルだ。 それが記紀に変換されるとき宇宙規模になっていて、 このときカバラ側の知識を最大限に詰め込んでカバラの役割を終らせようとしているのだ。
その後日本は顕教化した大陸思想を装備して、 外国と張り合う気概を持つようになる。
秀真伝の見地から卑弥呼・天照大神説を採るなら、瀬織津姫が卑弥呼だったことになるから、ストーリーとは異なってしまうのではなかろうか。

いっぽう、最近になって有力視されるのが則天武后・天照大神説である。
これについては本物黒酒氏が著書「もうひとりの明治天皇・箕作圭吾」の中で語られている明解が卓抜していてストレートである。
拙説もまた神世政変劇に果敢にアプローチすることで、秀真伝の瀬織津姫と則天武后の事績の相似像の観点から、同様の結論を得ているので見ていただきたいところだ。 ⇒ https://note.com/suzakudori_no1/n/n3fde556d72a9



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