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須坂キラビトVol.10 仕事も遊びも全力で。人生にとって大切なことを教えてくれる

のーす(地域おこし協力隊 北直樹)がお届けする連載マガジン「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺います。

第10回目は 須坂土建工業株式会社の山崎喜彰さんを取材しました!

【山崎喜彰さんプロフィール】須坂土建工業株式会社 代表取締役社長須坂市出身高校卒業後、大学進学・中退。その後、建築関係の専門学校で学びUターン帰省後、家業に入る2011年35歳の時に代表取締役社長に就任味はサーフィン・キャンプ・旅

【いよいよ創業100年が迫る!新潟県と須坂市の意外なルーツ】

―――実は山崎社長とは奥様同士の繋がりから、先だって仲良くさせて頂いており、私の妻も可愛がってくれて・・・ありがとうございます!改めてお話すると少し緊張します。
2026年に創業100年を迎えるとのことですが、その歴史について教えて下さい!

『私は全然緊張してませんよ(笑)でも、改めてだね。もともと私のルーツは新潟県頚城郡(現上越市)で、曾祖父が製糸業で盛んだった時代の須坂市に移り住んだところから始まっているんです。創業者の竹次郎が左官業をしていて、その子供だった喜太郎が今の会社を始めました。それが大正15年のことです。』

―――山崎姓って長野県に多くいらっしゃいますが、山崎社長の家系は新潟ルーツなんですね。

『当時、近代製糸業が栄えた須坂市には、頚城郡から5000人もの女工さんが来ていたそうです。実はこの辺の知り合いの建設業のルーツも新潟県頚城郡だったりするんです。それだけ須坂市が製糸業で栄えてたってことなんだと思います。』

会社の入口に飾られたオシャレな看板


―――製糸業で人が各地から集まる時代だったんですね。歴史を感じます。

【建築業のイメージを変えたい】


――― “須坂土建“という名前からして昔ながらの古い土建屋さんのイメージが強いですが、住宅も含めて結構手広くされているんですね。

『須坂土建は道路や橋などを作る“土木”や学校や住宅を作る“建築”の部門があって、売上比率で言うと土木が3割、建築が7割といった感じです。社内でも業務的には細分化されていて、ヘルメットを被ってツルハシを持って現場に行くイメージ通りの人はほどんどいないかもしれないですね(笑)』

―――確かに建設業って聞くとそういうイメージでした。どことなく建設業はなんとなく仕事がハードなイメージがある人もいるかもしれません。最近の建設業はどうでしょう?

『やっぱり昔は皆さんがイメージする通り、3K(汚い、苦しい、危険)と言われていて、ずっとそのイメージが染みついていると思うんです。だから全国的にも担い手が不足してます。業界では今“こんなことではいけない”と最近は新たな3K(給与・休暇・希望)を打ち出しています。土日休みの現場もほとんどで、労働環境は間違いなく良くなっています。私達も本当の“建設業”を伝える活動を地道にやっています。』

―――知ってもらうために具体的にはどんな活動を?

『今は地元の須坂創成高校の生徒さん達に実際の現場を見学や体験をしてもらった中で、直接生徒さんの声を聴くようにしています。若いみなさんの生の声は大変勉強になります。

また会社のイメージだけではなく、社員自身がどんどん自分のやりたいことをやってイメージを変えていってほしいので、近々ホームページにも載せる予定なんですけど、2つのことを社員さんに伝えようと思っているんです。

①   失敗を恐れずチャレンジしてほしい
②   仕事も遊びも真剣に。遊びに真剣になれない人は仕事も真剣にできない

会社の内部から発信して変えていかないと、業界全体まで変わっていかないですからね。』

【仕事と遊びの両立!?】

モデルハウスに飾られた山崎さんの趣味の私物

―――業界の未来を考えて“遊びを真剣に”っていうのはなかなか斬新です。

『私自身、サーフィンやキャンプなどのアウトドアや旅が大好きで、そこに時間をしっかり使うようにしています。その中から学ぶことって多いんです。旅の中での人との出会いだったり、趣味にこだわることで得られる知識も。これはトータルで仕事に良い影響を与えると考えています。どっちかに偏らず、バランスを取るということも大切で、やりたいことにしっかりと自分の時間を使ってほしいと思うんです。それは仕事も趣味も同じで、人に与えられた時間は平等だから、大切にしてほしいと思うんです。』

―――失敗を恐れずチャレンジするというところや、社長自らが趣味を大切にして声を大にしてくれると社員も心強いと思います。

『まあ、そうだね(笑)基本的に失敗したくてしたい人はいないし、誰だって最初からうまくいかない。リンカーン(元アメリカ大統領)の言葉を借りると“転ぶことには興味はない、そこからどうやって立ち上がったかに興味がある”ということなんです。大切なのは失敗のあと、どうやってフォローしてコトを進めていくか。良い意味で「適当でもいいからやって」と言うようにしています。そんなこと言って本当に適当にやる人間は居ないし、スタートを切らせてあげるのはこちらの仕事だと思うんです。何から何まで口出ししてやった仕事なんて楽しくないしね。』

―――自分もチャレンジする立場なのでその考えはとても響きます。
社長業を継いだ時、何か意識したことはありましたか?

『社長に就いた時には、県知事が変わり大きな制度改革があったり、政権が変わったことで公共工事に対する考え方が変わったり・・・もうドン底でした。「公共事業・建設業=悪」みたいな時期があった。そんな時は自分の会社を存続するために採算が合わなくても取らないといけない仕事もあって社員には本当に苦労もかけました。でも社長になった以上は、会社の都合で社員の給料を減らしたり、会社を辞めさせたくないという覚悟で、既存の考え方にとらわれず新たな方向転換も必要だと感じていました。』

社長業を通して、人間として成長させてくれたと語る山崎さん

―――当時は公共工事の国の予算も大幅に減ったりと時代背景も前向きではなかったかもしれませんね。

【新ブランド“ALOHA100”人のつながりを大切に。】

―――その新たな“方向転換“というところで、今チャレンジして売り出しているものはありますか?

『今、超断熱の“ALOHA100”というブランドを打ち出して家づくりを進めています。昔は“スカイホーム”という、ローコスト住宅を25年くらいやっていましたが、さらにお客様に満足してもらえる家を作りたいと思うようになったんです。超断熱方向へ進むのは社員も反対意見は無かったんですが、知名度のあった“スカイホーム”の名前を変える事に反対意見は結構ありました。それでも社員と話し合い、イメージを変える!というところに強くこだわって、思い切って名前も変えることにしました。』

―――長野は寒いので超断熱はお客様の多くが望んでいることかもしれません。名前的に暖かいイメージがありますが、どんな意味なんでしょうか?

『アロハ~って暖かいからでしょ?て思われるんですけど、1文字ずつにちゃんと意味があるんですよ(笑)
A:暖かい(温かい)家を届けたい
L:ロングライフ
O:大きな窓のある家
H:吹き抜けのある家
A:安心安全価格と耐震性能を備えた家
100:100歳まで長生きできる健康住宅を届けたい。
といった感じです。家は一生に一度の大きな買い物なので、やっぱり品質のいいものを長く使ってもらいたい。そういう思いが詰まっているんです。』

―――なるほど。そんな意味があったんですね!この家を打ち出すまでにどんな経緯があったのでしょうか?

『ヒートショックって知ってる?冬の廊下や脱衣所の温度差が原因になる死亡事故なんだけど、実は交通事故の死者よりも多いんです。私達が目指したのはエアコン1台で涼しく・暖かくなる家。お金をかければいくらでも可能なんだけど、それを出来るだけ誰にでも手に届く価格でやりたかった。それを実現するために北海道に行ったり、営業、設計、現場も試行錯誤の連続で、社員同士でもかなりぶつかったりもした。長野ではまだ出回っていないようなサッシを取り入れたりもしてね。ブランド化された今、出来れば須坂よりもっと寒い地域にも進出して売っていきたいですね。』

―――チャレンジは続きますね。私の家は古い一軒家なので暖かいのが羨ましいです・・・

『そういう家もいんじゃないですか?四季をしっかり感じることが出来るし。その辺って正解がないと思うんです。家自体の性能って人の価値観が大きく左右するから“絶対にこうです!”って担保出来ないところもある。だから須坂土建も“家のブランド化”はもちろん“須坂土建から買った”というのを大切にしているんです。最終的にはやっぱり“人”を見て商品を買うと私は考えているので。』

―――私も営業経験者なのでわかる気がします。最後は「人対人」なんですよね。

『そうなんだよね。社員には自分の話したい気持ちを抑えさせて、お客様の話にとにかく耳を傾けるように伝えているんです。それが“顧客満足度”の最も大切な部分。それでもお客様と合わない場合もある。人同士だから仕方ない。時間を使いたいお客様にしっかり時間を使うように言ってます。時間は平等に過ぎていくんで。』

【台風19号 縁の下の力持ちとして】


―――会社として社員の地域参加にも力を入れていますよね。須坂市でも甚大な被害があった台風19号でも建設業界がいち早くかけつけ復興支援作業にあたったと聞いてます。

『社員が地域に入っていくことには「仕事と遊びの両立」っていうのが根底にあるんですけど、そもそもこの仕事は地域あってこそでもあるので。
台風19号の時は本当に大変でした。被害が起きそうな段階から社員に待機を命じ、被災後も10日間ほど付きっきりで復興作業をしていました。当社で家を建てたお客様が被災したという情報を聞いて今ある工事をストップしてでも支援してほしいと社員に伝えました。この期間、社員が泥だらけになって作業していたことを覚えています。形には残らないんですけど、使命感が私も社員も動かしたと言った方が良いかもしれません。』

―――今の工事をストップすることは会社にとっては痛手ですからね・・・でもその想いは伝わっているのではないでしょうか。でも出来るなら災害は事前に防ぎたいものです。

『そうだね。やっぱりこうした被害を防ぐためには定期的で計画的な“公共工事”が必要なんです。ダムの存在が洪水をくい止めることもあるし、建設業は新しいものを作るばかりじゃなくて、“今あるものを守る”という役割もあるんです。』

台風19号被災による国道復旧工事作業の様子

―――そのような“縁の下の力持ち“の活動はどうしても見えにくい部分もありますよね。でも建設業の方々のお陰で便利な生活が出来ていることも身近に感じた気がします。

【須坂は宝の山。若い力に期待!】


―――そろそろ終盤に入るのですが、これからの須坂市に期待することはありますか?

『インター近郊の開発のような見える期待以外にも、まだ表には見えない部分にも期待しています。それは須坂市に勢いのある若い人達がどんどん出てきているということ。例えば、ある新人議員が「須坂は宝の山」と言っていたけど、そういう風に捉えてもらえるのは地元民としては凄く嬉しいですし、そういった若い人達がドンドン出てきて活躍してほしいと思っています。』

―――さいごに夢を教えて下さい!

『夢は無いです(笑)なぜなら、自分がやりたい!と思ったことはすぐに実行に移すし、何でも“出来る“と思ってしまうので、”夢“は無いんです。強いて言うなら今年からダイエットを始めていてたるみ切った身体と心身をリセットしたい!っていうことですかね。やっぱりこの仕事は身体・心身が資本。体を壊したら遊びもできないからね(笑)』

―――やっぱり仕事と遊びは両立なんですね!叶えてしまうから「夢が無い」カッコいいですね・・・最後まで味のあるインタビューをありがとうございました!


【番外編:のーすモデルハウスに行く】
わたくしモデルハウスの見学に行きました!
全室1台のエアコンでぬくぬくという羨ましいおうちでした。
のーす家はエアコンだけでは足りずファンヒーターも3台駆使しています。
周りの音も静かでとてもゆっくりと過ごせそうなおうちでした!
新築の方には是非とも検討をオススメします。


【のーすレポート】
今回は須坂土建工業の山崎社長でした!
社長とは何度か飲みに行かせてもらったのですが、私がいつも酔ってしまい素敵な話を全然脳裏に焼き付けていなかったので、こうやって素面で対談させて頂きました(笑)
「のーすのことが心配」といつも気にかけてくれる社長。
そして「仕事もいいけど遊びなさい」「嫌なことはNOって言いなさい」といつも背中を押してもらっています。
だから飲みに行ってもほとんど仕事の話はしないんです。
そんな社長に密かに憧れていることはここだけの内緒ですが、このインタビューからも苦しい時代を生きてきたからこそ言える言葉は数多く「苦い経験も会社の代表だからできること、それをさせてもらっている社員に感謝している」という言葉が、個人的にはかなり胸に響きました。
どんなことにも沢山チャレンジして、そこから起き上がること。
それが人としての魅力を大きくするのかもしれない。
だから山崎社長はこんなに魅力的なんだろう。
きっと人の知らないところで沢山転んで起き上がってきたんだろうなと。
なんとなく私には「遊びと仕事は両立しなさい」という言葉も自分に言い聞かせているように感じました。これだけ仕事に対して愛情と熱意があるからこそ言える言葉だと思うんです。社長でありながら困った時は頼りたくなる、本当に兄貴のような存在です。
このインタビューは私にとってもバイブルになりそうな内容でした。
だから私が家を建てるときはお安くしてくださいね、社長(笑)

【この記事を書いた人】

のーす(須坂市地域おこし協力隊 北 直樹)

1986年7月3日 石川県金沢市生まれ
2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と二人暮らし
現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中
趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
主な活動:空き家バンク、信州芋煮会
夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること

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