うなぎのうらめしや〜
誰にも話せない!老舗鰻屋の怪
ほんとうは…他に書きたいことが山脈のように連なっているのですが、どうしても、この不可解な出来事を誰かに話したいのです。
誰にも話せずに、この夏が終わったら、次の夏も、その次の夏も、この出来事を思い出してしまう気がするのです。
「王様の耳はロバの耳〜!」
見てしまったことを言わずにいるのが超!苦しくて、ご迷惑かもしれませんが全部ここに記して、忘れたいのです。
三連休の最終日、海の日、友人たちと薔薇園を散策し、久々に気分は華やぎ、暑すぎるとはいえ、夏の解放感はここちよく…夏祭り気分が街中にあふれ、皆なんとなく浮かれてしまうような日だった。
夕暮れ時になり、誰からともなく、夏バテ防止に〝うなぎ〟を食べに行こう!ということになった。
かなり高額な食事の提案に、誰かが反対しそうなものなのに、4人ともキャアキャアはしゃいでいる。まるで夏バテ防止の特効薬だと信じているが如く!である。〝うなぎ〟の魔力は日本中、どこにでも浸透しているのだ。
私たちは、まっしぐらにデパートのレストランフロアにある老舗の鰻屋さんに向かった。
エレベーターを降りると、すでに鰻の蒲焼の匂いがふんわり漂っていて、お店の前の椅子は、順番待ちの人でいっぱいだった。
「連休最終日だから大丈夫、皆、早めに帰りたくなっちゃうから」
そんなことを言うほど、友人たちは〝うなぎ〟にこだわっていて、座る椅子もないのに、店の前に立っている。〝うなぎ〟の魔力はかくも強烈に人を惹きつけるのだ。
それにしても、この連休中、いったい鰻重は何個売れたのだろう?きっと夥しい数の鰻が蒲焼になり、その香りは日本中に漂い、魔力を発揮する…〝うなぎ〟を食べなければならない気持ちになってしまうのだ。
タイミング良く、次々に客が出て行き、私たちはすぐに順番待ちの椅子にすわることができた。
ウキウキ気分で待っている…中は冷房が効いているらしく、強力な冷えきった空気が流れてくる…ふと妙な気配を感じ、私は思わず,眉をひそめた。
冷え切った空気のなかに、どこかヌメヌメした血生臭い、匂いを感じたのだ…こんなのあり?最高に食欲があふれでる匂いをかげる場所のはずなのに…?こんなはずないよね?
この血なまぐさい匂いは?他の人は感じないのかな?
ごはんがいくらでも食べられちゃうはずの香ばしい匂いのなかに漂う〝血なまぐさい〟匂い… その匂いにふと現実がよぎる。
うなぎはヌルヌルした身体をくねらせ,逃れようと、のたうちまわるが、無惨にも,無念にも、頭を打ち抜かれ、押さえつけられ、かっさばかれて、肝を抜かれ、開かれ、串にさされ、火炙りだ…
私の嗅覚はなみはずれているらしく、見た目がどんなにゴージャスな空間でも騙されることなく、匂いで清潔さの度合いを感じとってしまう。それはちょっと厄介なことでもあって、一緒にいる人の気分を害してしまうこともあるので、あえて〝嗅覚センサー〟をOFFにしていることも多い。気がつくことがいいことだとはかぎらない。
それなのに、いい香りの記憶しかない鰻屋さんの前では、いつのまにか〝嗅覚センサー〟がON!しかもMAXになっていたのかもしれない…
確かに… 生臭い匂いが冷房の風のなかに漂っている…
まさか!?ナンジャラホイ…信じられない嫌な匂いだ… えっ?
周りの面々は変わらず楽しげだ…こんな不気味な匂いを誰も感じていないのかしら?
「なんか、血なまぐさい…」そんな事を口にしたら、せっかくの楽しみが終わる…言葉を呑みこんだ… 血なまぐさい!なんて!言ったら、神聖な夏の行事をだいなしにしてしまう…私は思いっきり、勢いよく、〝嗅覚センサー〟をOFFにした。
こんがり焼き上がれば、いい匂いにきまってるんだから、よけいなことを口にしてはならない。
一抹の不安を笑顔に隠して、席に着いた。
鰻重を4つ注文した。ここには生臭い匂いは漂っていない…
満席だった周りのテーブルも次々と帰り、いっきにほとんど空席になり、しばらくすると、また、満席になった。夏のうなぎ人気はほんとにすごい!みんな一様に夏祭りに参加するみたいな生き生きした表情でテーブルについている。
いったい何匹のうなぎが、夏の神様に〝いけにえ〟となるのだろうか…うなぎの身になれば、ホロコーストの季節だ…うらめしいかも…夏の怪談?うなぎ一族のうらめしさが漂ってきたのかな?
待つこと20数分間…冷房はますます強くなり、なんだか、背筋がゾーっと冷え切って、ゾクゾクしてきた。
「きっと鰻を焼く人は暑いからね…」
「食べれば、あつくなるかも…」
そんなことをひそひそ囁きあってるうちに、じゃじゃじゃ〜ん!鰻重様がやってきた。
〝御神体〟を前にして、みんなの顔が輝いた…しかも〝肝吸い〟付である。
蓋を開けた時、あっと思った。白っぽい…
ような気がする…とりつくろって…山椒と笑顔をふりまいて、気を散らしてみる。
老舗の鰻重なんだから、美味しいに決まっているのだ…と、勇気をふるいたたせる。
まず、〝肝吸い〟から… 吸物の味は薄く、肝は硬くて、喉通りがわるく、なんだかひんやりしている…やだやだ、きもい!呪いの肝吸い?
うなぎに口をつけたとたん、また、ひんやりして…あの〝血なまぐさい〟匂いがした。えーっ!こんなことって? ありえるの?
私、どうかしたのかな?まわりの面々は黙々と食べている。私だけなの?この生臭さを誰も感じてないの?もしかして、私のだけが?
タレのかかったご飯は、いつもの味なので、私は重箱から顔を離して、重箱のすみをつつくように、器用に山椒ご飯を食べつつ、周りの面々を観察した。
黙々とゆっくり食べているのは、もしかして異変を感知してるから?おしゃべりな面々が、うんともすんとも言わないのは、まずいから?誰か、何か、言ってほしいのに、誰も一言もしゃべらなかった…
うなぎの呪いで私の嗅覚が狂っただけなのか、ほんとに、生臭い、まずい鰻重なのか…私にはわからなかった。よくわからないけれど、よけいなことは言わない方がいい…
せっかくの〝夏のうなぎ行事〟をだいなしにしたくないし、そんなこと言ったからって何一つ、得られるわけでもない。失うものは多々、ありそうだ…もう食べちゃってるわけだし…
気を取り直し、ご飯にまぎらせて、うなぎを食べはじめる。なみあむだぶつ…しかたない。
食事中、トイレと電話で2人が席を立った…珍しいことだ。皆の食べる速度も超遅い…何か異変を感じているのかも…
ふと、〝まずいよね〟と、言いたい衝動にかられたが、にっこりした表情で食べつづける彼女たちに威圧され…黙った。
言葉を互いに黙殺しあい…ついに次々に重箱の蓋が閉じられていく…
鰻を半分残したことを気取られないように、私はタイミングを見計らって、パタンと蓋を閉じた。もう一度、蓋を開けたら,なかにはニョロニョロ…うなぎが潜んでいるような気がした。とんだ玉手箱だ…
鰻屋さんを出たところで、ひらひらと手をふりあって、私たちはそれぞれの方向へと別れた。
私は,ケーキショップに直行し、フルーツいっぱいの爽やかなケーキを買いこみ、大急ぎで帰宅し、サイホンでコーヒーを淹れた。コーヒーの香りにほっとし、私が〝ちょぴん〟と呼ぶ〝ショパン〟を聴きながら…叫んだ。
「なんと恐ろしや!血なまぐさい鰻事件に遭遇致しました〜!」
だけど… たぶん、生涯… 一緒だった友だちにも、他の誰にも、鰻事件を語ることはないから、ひとりごとを言うしかない。
言ったところで、信じてもらえないだけじゃなく、聞きたくもない、嫌なことを言う奴になるだけだ。
神聖で楽しみな、夏の行事にケチをつけるのも、水をさすのも、よくないに決まっている。
なのに、なのに、でも… どうにも気がおさまらなくて、誰かに話してみたい…私がいるのです。
だから… こうして「うなぎのうらめしい話」を皆さんにきいていただけて、ほんとうにほっ!スーッとしました。
夏本番を迎え、同僚たちの〝鰻屋さん〟へのお誘いも、さらりと水の流れるが如く受け流せそうです。
「夏はやっぱり!うなぎだよね。もう食べちゃったよ!」
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