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わたしは心を受け止めてほしい人だった


女性ばかりの販売職を4年経験して、
しばし休憩したのち新しい職に就いてから半年が過ぎた。

少人数の会社の中で、さらに特殊な、
目に見える成果も数字としての成果も出ないような、
それでも社長に必要だと思われて誕生した、小さな部署にいる。

正直入社当初から「経験がないけど大丈夫か?」と不安を覚えていた。
販売しかしたことのない人間ができるような業務とは到底思えなかった。

けれども、決まったからには頑張らねば。


そう思って半年過ごしていたけれど、今日は大きな事実に気がついた。


わたしって、生粋の、所謂、女性脳だったんだなあ。


男性は結果を大事にするし感情じゃなくて理論を大切にする。
女性は過程を大事にするし理論じゃなくて感情を大切にする。

といったようなことを良く耳にしたり目にしたりしてきた。
どちらが良いでも悪いでもなく、そういう事実があるということだけは分かっていた。


私はどちらかというと女性脳なのだろうけれど、それでも別に感情的でもなければ結果も大切にしてると思い込んでいた。


ところがどっこい。

女性ばかりの職場から今の、男性のほうが多い会社にきてから微妙に「言いたいことはわかるけど、でも…」と納得いかないことが増えた。

女性と話している時はあまり思わない。
むしろ共感しあって、そうだよね。こうしたほうがよくなるよね。と話し合う。

そのまま上司である男性に説明すると、大抵首を傾げて腕を組まれて「これはこうだから…」と、“正しいこと”を説明される。

上司はあくまでも自分はこう思うよ、という程で話してくれるのだけれど、歳も経験も上の人間の話は私にとってはストレートすぎるぐらいお腹の辺りに減り込んできて、反発もできない頷くことしかできない。

頷くことしかできないけど、心のどこかで不服、何に不服か分からないが、自分の意見が通らなかったことに疑問。
だけど“正しいこと”を説明されて、その事実は理解できる、けれど……とモヤモヤの洪水。


そこでふと気がついた、共感がない。


「なるほどね、そういう考えもあるよね。」
「そういうことを考えたのか、それは分かる。でもこうしたほうが…」
というような労いの、過程に対する、私の心を受け止めてくれる、言葉がないのだ。



そういう言葉がないからって、別に自分自身を否定されたわけでもない。
半年間しか勤めてないので、それが全てじゃないし、今後はもっとこうしたほうがよい、などの励みにも繋がるはず。

それでも私は、心を受け止められなかっただけで
「もう無理だ」「私がこの部署でこの会社にいる意味とは?」「こんなにつらいのだからもう意見をするのが嫌だ」
というような発想になる。
(特に、会議の場に女の自分が1人だけだったり、生理前だと尚更思う。)


なんて面倒くさい奴なんだろう!!

男性脳からすると、やりづらい奴だなあと思う。

自分で自分のことを女性脳だと理解していなかったからなおさらだ。


私はわたしの心を受け止めてもらいたかっただけなんだ、

と理解できたので
今日の1時間半に及ぶ無駄話のような会議は意味があったのだと、思いたい。



明日からは、せめて私がわたしの心を受け止めていこうと思う。

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