見出し画像

祖父の家と森


まえがき

最近フォロワー内で小説ブームだったのでなんとなく書きます。フィクション3割くらいなのでほぼ実体験です。文才もないしプロット考えるエネルギーがないので勢いで書きます。1番の理由は母方の実家を壊す話を最近耳にしたので忘れないように形に残しておきたいからです。長くなるとだれるので本編行きます。


じーちゃんとばーちゃん

私の祖父は数年前に亡くなり、祖母も追うように亡くなりました。特に悲惨な感じではなく家族に見守られ温かい別れが出来たと私は思っています。祖父は厳格というか感情表現が乏しく何を考えてるのかよく分からないイメージが強いです。祖母はとても優しくて温かい人でした。私や姉をとても可愛がってくれました。祖父は田んぼを持っており、幼少期には私と姉を連れて稲作をしながら自然の知識を教えてくれたり、ただぼんやりと空を見上げる楽しさを教えてくれたのは祖父だと思います。母方の実家は自然に囲まれて村人はみな知り合いというくらい人が少なく私が住んでいる家から距離が遠いこともあり中々出向くことはありませんでしたがおじいちゃんの家に行こうとなると姉妹でワクワクしながら泊まる支度をしていました。
周りは森に囲まれて村の端にあるのが祖父の家です。家の裏から続く農道、と言っても農作業用の車が通るので整備されていてその山に通じる道が異様に感じるほど綺麗でした。朝早くに起きて祖父と姉と私の3人で田んぼを見に行き、祖父は作業をして私たち姉妹はそれを見守りながら遊び、正午のチャイムと共に帰宅して家で昼食をとり私たちは疲れて寝るというのがいつものパターンでした。
ある日、祖母と叔母と姉の3人は家から少し遠い移動購買車まで買い物に行ってくると話し私も同行する予定でしたが朝寝坊をしたせいか家で留守番をすることになってしまいました。祖父はいつも農作業を終えると知人の家に酒を飲みに行くのが恒例だったので私1人取り残されて退屈していたのを思い出します。始めのうちは家の中を探検したりして過ごしていましたがいつも遊び相手になってくれる祖母や姉がおらずあっという間に家の中での探検ごっこに飽きた私は外に遊びに行くことにしました。冷蔵庫や戸棚を漁ってお菓子やおにぎりをカバンに詰めて整備された道を進み、祖父の田んぼに着きました。草や森の匂い、用水路を流れる水の音は普段の生活では触れることの出来ないものだったので私は田んぼに行くのが大好きでした。始めのうちはピクニック感覚でおやつを食べたり水路を眺めてカエルを採ったりして遊んでいましたがやはり1人で遊んでいてもつまらなく早く帰ってきて家族に会いたいという気持ちから家に帰ってお絵描きをしたりしている内に眠ってしまいました。1番始めに帰宅したのは祖父で私を起こしてくれると「山に行ったのか」と尋ねられました。私は何の気なしに退屈だから遊びに行ったことを伝えると今まで見たことのないような剣幕で祖父は怒り、いつもは表情を出さないながらも優しくしてくれていた祖父が額の血管を浮き上がらせるほどに怒っている姿は始めて見ました。なぜそれ程祖父が私を叱るのか、いつも通り慣れた道を通り田んぼで遊んできただけなのに。幼い私には厳しく叱られるのか理解出来ず泣くことしか出来なかったです。そしてなによりも祖父がなぜ私が山に行ったことを知っているのかが不思議でした。その後3人が帰宅し叔母に宥められた祖父は「もう1人で山に行くな」と言い残し自室に戻りました。泣くことしか出来なかった私は祖母になぜ山に行ってはいけないのかを尋ねるとその理由を教えてくれました。しかし今の私にはそれだけがどうしても思い出せません。ただ1つ確実に言えるのは「怪我をしたり山に迷い込んだら危ない」という理由ではなかったことです。普通は幼稚園に入ったばかりくらいの年齢の子供が山に入っていくことに対して危惧するのは安全面だと思いますがそれと異なったこと。それが強く記憶にあります。祖父に怒られてからというものの私はあの山に入るとまた叱られるのではという恐怖から祖父について行くのをやめました。姉は「私ひとりで行ってもつまらないから」と私と一緒に家の中や敷地で遊ぶことが増えました。そして今に至るまで田んぼや、あの山に行くことはついぞ無くなりました。
2人が亡くなり、今はなぜあの山に1人で行ってはいけないのか、なぜ1人で山に行ったことを祖父が知っているのかを教えてくれる人はいなくなってしまいました。
祖父、祖母が亡くなりなにかと不便な事が多いため叔母と叔父は引っ越すことを決めてあの家を取り壊すことを最近母から耳にした私はもうあの山に足を踏み入れることは二度と無いんだなと安堵のような寂しいような気持ちです。母方の実家に行くことはなくなり祖父に叱られたのもちょうど今頃の季節だった気がします。


この記事が参加している募集