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冷蔵庫のため口問題

 物が人に敬意を抱くのは作った側と作られた側として当然のことで、だから人に敬語で話しかけるのが道理なのはみなさんもご存じでしょう。テレビは「へ、へ、に、人間様、いまつけます。いまつけますからね」と言うし、椅子は「人間様に座っていただけるのが我が最高の喜びでございます」と言う。
 なのにこのところ冷蔵庫の野郎があろうことか「よ、人間、喉かわいたの?」と同級生のようにフランクに話しかけてくるから困った。
 私がいくら親切心と愛情をもって「その口の利き方なんとかしねーと廃品工場でスクラップにすんぞ」と叱咤をしても返ってくるのは「え、どうしたの?」というまるで私が何か意味不明なことを言ったかのような口ぶりなのである。例えるのなら焼き肉屋でみんなが「牛肉おいしいな」と言っているなかで「五つ子より四つ子のほうがレア」と珍妙なことを言って、友達から愛想笑いをされるに近い。
 正直のところ、私は物にため口をきかれたところで「ざっけんじゃねーよ」とぶち切れるような心の狭い人間ではない。だから全く気にしてませんよーと言った感じで「よ、冷蔵庫、開けさせてもらうよ。チェケラー」と友情を築いてもいいのだ。しかし上下関係を忘れると大変なことになりかねない。ペットの犬が自分よりご飯を食べるのが遅い父親のことを序列下の下層民だと思い、たまには犬とでも遊んでやるかと思い立った父親の右手に噛みつき、臨時家族会議が開かれ、おまえのしつけが悪いんだ、なによいつも遅いし安月給なあなたに言われたくないわ、なんだと、なによ、と離婚にまで発展した夫婦を私は知っている。
 このままでは、私がリンゴジュースを飲みたいときに、冷蔵庫に「えーいま寝ようとしてるんだから開けるなよ」と言われ、喉の渇きを潤すことができず、その結果勉強しても何も頭に入ってこず、テストでボロボロ、留年という最悪の事態になりかねないから、私は冷蔵庫に道理を促しているのである。けっして私が小物なわけではない。
「てめーさ、なんでため口なの?」
「いけないの?」
「てかさ、おかしくね? 俺人間、おまえ冷蔵庫。敬語っしょ」
「あ、そうか。これからは敬語で話します。ごめんなさい。本当ごめんなさい。な、何かお飲みになりますか?」
 冷蔵庫は本当に申し訳ないといった感じで声を震わせながそう言った。こうなってしまうと、まるで私が悪いみたいである。歩道の真ん中をきっちり歩いている人に向かって「ちんたら歩いて、邪魔なんだよ馬鹿が!」と言って「ごめんなさいごめんなさい」と善良な市民を傷つけるようなものだ。否、断じて違う。冷蔵庫は礼儀がなっていなかったのである。そこを私が注意した。冷蔵庫は自分の過ちを悔いている。ただ、それだけである。
 この美談を友人に話したところ「いや、物しゃべらんしょ」と友人は口にしていたが、友人が何を言っているのかいまでもわからない。

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