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140字小説(ついのべ)/ レコードを買ってみたけれど 他10作

2023年3月の140字小説(ついのべ)その1。
10作。


隣家の娘さんがピアノを習い始めた。かすかに流れてくる拙い音。日々、ぎこちない旋律が美しくなっていくのを聞いた。彼女が遠い立派な学校に行ってしまうと静けさが戻った。レコードを買ってきて聞いてみたが、彼女の演奏ほど楽しくなかった。レコードは毎日成長も変化もしてくれないから。
(2023.3.10)


事故により、彼の記憶は一日しかもたないのだそうだ。だが僕の熱心なファンなのだという。僕の作家デビューは彼の事故より後なのだが。「部屋に本が何冊か置いてあるんですけどね」世話人が語った。「いつも先生の本を選んで読むんです」僕の本は毎日のように彼に初読して貰っているのか。
(2023.3.5)


友人は神社の息子だったが、勘当されて家を出た。引っ越し先の狭いアパートに遊びに行くと、古い建物ながら妙に澄んだ空気が漂っていた。こっちについてきたな、とわかった。何がとは言わないが。友人は幸せそうだった。たぶんあっちは、無意味に人と怨念が溜まるだけの場所になるんだろう。
(2023.3.3)


伯爵の息子は国境で盗賊団を捕らえた。悪徳商人から奪い、貧しい者に与える義賊。「処刑でも何でもしろ」勇ましく言う首領の女に、彼は答える。「お前は義賊を続けるとよい」ただし王都でな。多くを持つ者から奪い少ない者に分ける、その資格を持つのは王だけだ。俺はそれになる。手伝え。
(2023.3.7)


天使の足跡を作るのが好きだ。広く開いた場所に足跡を付けながら進み、途中で止まって、次はその足跡を慎重になぞりながら後ろ向きに戻る。突然空へ飛び立ったかのような不思議な足跡が残るわけだ。羽毛を少し散らすと完璧。本物の天使が、仲間の痕跡かと降りてきたのを見たことさえある。
(2023.3.6)


「親とはぐれた雛がいかに哀れだとも、手を出してはいけなかったのだ。我らの匂いが染みついてしもうて、お前は人の世に戻れぬ」父様が泣く。鬼の目にも涙と、誰が言ったか。私は泣かない。幼い私を捨てた人の世に未練はない。鬼どもを引き連れた角のない鬼姫の噂は、都にまで届く。
(2023.3.6)


明日巨大隕石が落ちて地球が滅びるという最後の日、彼は全力疾走で逃げていた。彼は生まれつき美しかった。秘かに彼を慕っていた大量の男女が、最後にせめて愛の告白をと、追ってきたのだ。その自分勝手を責める気はない。彼もまた今、片想いの相手の居場所を探して駆けているのだから。
(2023.3.4)


屋根の上に幽霊がいてさ、と霊能者は言った。ただ静かに座って、藍色に暮れゆく空を見上げてた。依頼されたけど除霊はしなかった。害はないから放っておけばいいとだけ伝えた。事実、霊は数年後に消えた。火星に向かって飛んでいった地球初の宇宙船が無事帰還した年に。待ってたんだな。
(2023.3.4)


海辺に住む魔法使いの元に、今日も人魚が訪れる。「人間の足が欲しくなったかい」「ならないわ。私が欲しいのは別のもの」そのためならこの声もあげる。しなやかなこの腕もあげる。もう貴方の名前を呼ばない。あなたを抱きしめてもあげない。「私を完全な魚にして、海に解き放って」
(2023.3.3)


温暖化で解けた万年雪から凍ったサンタがでてきた。家に連れて帰って暖炉にあたらせてやった。目覚めたサンタは言った。「メリークリスマース」「遅ぇよ」「これは君のだ、ジョン」プレゼントの包みを懐から取り出す。「遅ぇよ。二十年くらい」笑えばいいのか泣けばいいのかわからなかった。
(2023.3.2)


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