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エモいで消費する感情

エモい。使い勝手のいい言葉だと思う。

日常生活でもよく耳にする言葉になってきたと感じるし、実際自分でも時たま口から出てしまう。

このイラストがエモい、曲がエモい、映画がエモい。感情が揺さぶられたら総じてエモい。

でも、エモいという言葉が感情表現の言葉足りうるのかずっと疑問に思っている。エモいという言葉を否定するつもりはないが、些か力不足のように思えて仕方ない。

感情はエモいの3文字で消費できるほど単純なものじゃないと思うし、僕はエモいという言葉で消費したくない。

自分の知っている言葉だけでは表現できない感情もあるし、理解できていない感情もある。でも、辞書を引いたり、知ってる言葉を無理やりでもくっつけて形にしたり、時間をかけて消化したり、色々な方法があると思うんだよ。

名前のない感情は本当に、本当に大事にしないといけない。赤ちゃんから成長して好きと嫌いを知ったときみたいに、もともと自分の中にあった感情に名前がつく時がいずれ来ると思う。

それを、エモいで済ませるのは勿体ない。アンドリューNDR114みたいに一つずつ感情を獲得していかないといけない。

エモいが便利なのは変わりない、良くも悪くもインスタントな感情表現で、簡単で早いただそれだけ。それ以上でも以下でもない、そんな言葉だと思う。

大衆的で包括する感情のラインナップも豊かで、その上手軽。みんなが使う理由もわかる。でもジャンキーなんだよ、徐々に心が腐ってくる。

わからない感情を長い時間抱えるのは辛い。わかる。エモいといえばもやもやを消化できる。わかる。でもずっとそれを続けていたら心が麻痺してくる。何を見てもエモいで片付けてしまうようになる。

感情は自身を形作る大きな要因だ。色々な感情にふれて、色々な感情を吐露する。重要なことだと思う。

でも今後エモいでしか説明できな、理由のある感情が生まれるかもしれないし、もう誰かが感じてるかもしれない。そんな時はデカい声で叫ぼう。

エモい!!

おわり

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